群馬での暮らし:百姓のいない村 《グンマを話そう》 ○瀧の慈眼寺・百姓のいない村 旧瀧村は一軒家で名主家族のみ、一人の百姓もいませんでした。 それは、武田氏に従っていた江原河内佐藤原重安が討ち死にした後、上州に移り住んだ重安の子・江原源左衛門が「天狗岩用水工事」に功績があったとして三町四反一畝二十二歩・二十九石七斗の土地を与えられ、江原家は一村一軒代々名主をつとめることとなったのです。 « 前の記事 次の記事 » コメント(0)