群馬での暮らし:機神様
《グンマを話そう》
○仁田山のはた織り石
ある昔、桐生仁田山に母娘が機(はた)を織って暮らしていた。 毎日「トンカラコン・トンカラコン」と母が織る機は、立派な反物になるのでひきてあまただった。 ある日突然母が亡くなり、娘は一人で機をおらなければいけなくなった。 しかし、どうしても母のように上手に織れない娘は、毎晩遅くまで一生懸命機織りを続けたので、ついには手が腫れて上にあげられなくなった。
七夕の夜、娘は渡良瀬川へ行った。 川に手を入れてみると、とても気持ちが良かった。 その手で髪を濡らしてみると、上げられなかった手が上がった。 喜んだ娘は、また機が織れると家へ急いだ。 すると途中の山中から「トンカラコン・トンカラコン」と聞こえてきた。 母の織る音であった。 それは道端の石から聞こえてくるのだった。 家に帰った娘は、この音を心に浮かべ機を織り続けた。 そして娘の織った機は、村一番の反物となった。
こうして、仁田山の機織娘たちは七夕になると、渡良瀬川で髪をすきながら唄った。
[はたが織れない はた神様よ どうかこの手があがるように]
※七夕の元表記は「棚機」、ここでの織物とは神衣・神御衣。
※古事記高天原説話では、高天原でアマテラスの弟スサノオが荒れ狂い、天から皮を剥いだ馬が落ちてきたのに驚いた棚機津女が跳びあがった拍子に織機の突起でホトを貫かれて死んだ。 これが天岩戸隠れとなったといれている。
☆七夕
七月七日の夕刻に乙女が棚機(たなばた)で神様の着物を織り、翌朝神に供えた。
コメント