よかよか飴
○よかよか飴
日の丸旗で飾った飯台に飴を入れて頭にのせ、ウチワダイコを叩きながら「ヨカヨカスルセカ、 イマダニゴケダヨ…」と唄って売り歩いたらしい。
アーヤーヨー
いざり勝五郎車に乗せて
ひけよはつ花箱根山
ハハアーヤーヨー
箱根峠を越すときに
はつ花車をひきとめて
…
○よかよか飴
日の丸旗で飾った飯台に飴を入れて頭にのせ、ウチワダイコを叩きながら「ヨカヨカスルセカ、 イマダニゴケダヨ…」と唄って売り歩いたらしい。
よかよか飴屋にゃだれがなる
三千世界のバカがなる
そのまたかかあにゃだれがなる
売る飴は季節により異なり、夏は「ひき飴・おがらあめ・旗飴」、冬は「ぼうあめ・ぶっかきあめ」などだった。 昼は子供に飴を売り・唄を聞かせ、夜は行きとまりの家に世話になり唄や芝居で集まった人々を楽しませたといわれている。
※飴を買うと頭の旗を一本くれた。
※よかよか飴は、明治二十一年頃始まったといわれる。
☆よかよか飴売り
地方によっては、「本町二丁目の糸屋の娘~」と唄い・飴を売り歩いた。 これは、糸屋(半端物を引き取り糸を売る)が「本町二丁目の糸屋の娘~」と唄い・売り歩いたのが源といわれる。
※後に「あめやの唄」・小林重四郎。
☆チンドン屋(関西では披露目屋・広目屋・東西屋など)
江戸中期、派手な衣装で・団扇太鼓を叩き・鉦を鳴らし・面白く歌い踊る「飴売」が江戸の街頭に現れた。 その飴売りの一人・飴屋の勝ちゃん「さあさあ隣の坊ちゃんお嬢ちゃん、飴屋の勝ちゃん飴勝だ。早く買うたらいちばんうまい。遅く買うたてもやっぱりいまい…」と売り歩いた。
大阪に出た飴勝、売り声を武器に・短い法被に大きな笠・脚絆に草鞋・丸クゲ帯を後ろで高く結び・帯には大きな鈴・房には切り切藁をぶら下げ・拍子木を手に大阪の町を掛け声高く触れ歩いた。(松屋町寄席呼び込み)
こうして弘化二年大阪にチンドン屋元祖が現れた。
※「トザイ東西」と大声で町中を触れまわったのが勇亀。
☆東西屋
東西は「東より西まで静まり給え」の意、相撲にはじまった。
広目屋本店
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