引札:牛乳配達
○牛乳搾取所 初見甚吉・原町
☆搾乳業
牛乳を飲用するようになったのは明治に入ってからである。 1875年士族救済(士族授産)のため士族廃業手当(秩禄公債)を抵当に借入金を儲け、前橋藩の士族が政府より洋乳牛を借りて搾乳所を設けた。 当初は、「牛乳を飲むと角が生える」とも言われ一般人はほとんど飲まず、わずかに病人用として貴重品あつかいされた。
☆蘇
平安時代に、牛乳を1/10ほどになるまで煮詰めて丸めたもの。
※古代、牛乳は貴族の独占物であり、熱を通したものをさましてから飲んでいた。
牛乳が飲まれるようになったのが七世紀。 713年、全国四十七国より「蘇」を納めることとなった。
☆乳牛牧跡・大阪市東淀川区大桐
古代律令制時代以来、典薬寮に所属していた牛牧「味原牧」がありました。 「味原牧」は、摂津市の味原の地から淀川が分流する江口の下流部に分布していたといわれ、乳牛を飼育していたことから「乳牛牧」と呼ばれていました。
牛牧の住民は牛を飼育して、牛乳・蘇・酪を製造するとともに、毎年母牛と子牛を典薬寮の乳牛院に送ることが義務づけられていました。 そのため、一般の所役や雑役を免除され、その特権を活かして次第に田畑を開拓し、その田畑は年貢課役が免除されたため、中世には牧の中に田畑が広がり荘園化していきました。
室町時代には一般の荘園と同様に支配され、やがて摂津守護の支配となり典薬寮の所属から離れました。 嘉吉二年摂津守護であった細川持賢によって崇禅寺に寄進され、寺領となりました。
☆醍醐味
「牛より乳を出し 乳より酪を出し 酪より生酥を出し 生酥より熟酥を出し 熟酥よより醍醐を出す」と「大般涅槃経」にある。 美味しかったらしいので、醍醐味。
コメント