新町屑糸紡績所 メモ
☆旧新町紡績所
明治~昭和
明治十年群馬県新町に操業開始した我が国最初の絹糸紡績工場。 佐々木長淳のヨーロッパでの紡績業などの視察報告に基づき、内務省が官営工場として設立した。 創業時の動力は、工場付近を流れる温井川を利用した水力と蒸気で、原料はそれまで安価で輸出されていた屑繭・屑糸を使用し、紡績絹糸を製造した。 明治二十年三越呉服店に払い下げられ、明治三十五年には企業合同により絹糸紡績株式会社新町工場となり、さらに明治四十四年の合併により鐘淵紡績株式会社の経営となった。 工場は、絹糸紡績業を1975年まで続けた。 現在はクラシエフーズ株式会社新町工場の一部として使用されている。 現存遺構としては、明治十年に建設された工場本館がある。 創建時の柱・小屋組・東及び北側外壁などの大半は現存している。 工場本館の構造は、木造平屋建、切妻屋根桟瓦葺き、外大壁下見板張りで、小屋組はキングポストトラスである。 また、明治時代に建築された機関室なども現存する。 このように、明治時代の殖産興業の実態を知る上で貴重な遺跡である。
☆旧新町紡績所 二階家煉瓦庫
明治/1894年
煉瓦造、建築面積49.17㎡、二階建、桟瓦葺
旧新町紡績所は富岡製糸場から五年後の明治十年に明治政府が設立した絹糸紡績工場である。 佐々木長淳を総括とし、ドイツ人の指導を受けながら大工の山添喜三郎ら日本人の手で建設された。 明治四十二年まで操業を続け、その間工場の増築や建物の新築が図られてきた。 工場本館のコの字形切妻造屋根部は官営期工場部で、独特なトラスなどに洋風建築の技術と日本在来の技術の併用が見られる。 鋸屋根の増築部、煉瓦造の機関室や倉庫は、明治期の紡績工場の発展形態を示している。
旧新町紡績所は、希少な木造の工場建築がほぼ完全な規模で残り、明治初期の建築技術を良く示しており、高い歴史的価値がある。 明治期の絹糸紡績工場唯一の遺構であり、絹糸紡績業の発展の過程を示すものとして、高い学術的価値が認められる。
☆旧新町紡績所 倉庫
明治/1897年
煉瓦造、建築面積293.66㎡、桟瓦葺
☆旧新町紡績所 修繕場
明治/1877年
木造、建築面積327.23㎡、鉄板葺
旧新町紡績所は富岡製糸場から五年後の明治十年に明治政府が設立した絹糸紡績工場である。 佐々木長淳を総括とし、ドイツ人の指導を受けながら大工の山添喜三郎ら日本人の手で建設された。 明治四十二年まで操業を続け、その間工場の増築や建物の新築が図られてきた。 工場本館のコの字形切妻造屋根部は官営期工場部で、独特なトラスなどに洋風建築の技術と日本在来の技術の併用が見られる。 鋸屋根の増築部、煉瓦造の機関室や倉庫は、明治期の紡績工場の発展形態を示している。
☆旧新町紡績所 機関室
明治/1898年
煉瓦造、建築面積414.21㎡、一部地下一階、鉄板葺、北面倉庫附属、木造、建築面積70.59㎡、桟瓦葺
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