グンマの昔:祭文
○祭文
右手にホラ貝・左手に錫杖を持ち。各家の門づけ(玄関先)で唄った。 グンマでは「デロレン祭文」ともよばれた。
デレンデレン デレレレーン デレンデーン
さては一座の御方様
伺いまする芸題は
わずか離れた安中の
豆腐屋の二番息子の庄三郎
中のちようの召し捕りをば
時間くるまでつとめましょう
デレンデレン デレレレーン デレレレデレテレレレーン
…
○門付芸(門付芸人)
一般的には下記のものがあった。
千秋万歳、 松囃子、 傀儡子(傀儡・人形回し・でこまわし)、 萬歳(門付歌)、 春駒(門付歌)、 鳥追 (門付歌)、 大黒舞、 獅子舞、 物吉、 猿回し、 ちょろけん、 夷回し(夷舁き)、 太々神楽、 鹿島の事触れ、 厄払い、 夷舞、 節季候、 門浄瑠璃、 門説経(門付歌であり説経節を門付芸として行うもの)、 歌祭文(門付歌)、 鉢叩(門付歌)、 なまいだ坊主、 願人坊主(すたすた坊主)、 芥太夫、 簓摺り、 法界屋、 箱回し、 化他、 ちょぼくれ、 胸叩き、 チョンダラー(沖縄の門付)
その他にも下記など来た。
○薬屋
富山・越後から売りにきた。(ピリスなどあった)
○毒消し売り(ドッケシ売)
越後の娘が菅笠に脚絆姿で「毒消しはいらんかネ」と来た。 化粧品・ハッカ・包丁・鋏なども持ってきた。
○毒消丸・越後の毒消し
西蒲原郡巻町集落での出稼ぎの多くは大工・木挽で、持薬として携えたのが始まりといわれる。 嘉永二年頃に行商が始まり・万延元年頃には女性の行商が始まった。 明治時代には塩田の自由競争により塩価が下落し、塩業から売薬行商へ転業したといわれる。
○ヨカヨカ飴屋
「飴を買う子はしんから可愛い、買わせる親はなお可愛い。 飴を買わなきゃしんから憎い、買わせぬ親はなお憎い」と来た。
○羅苧屋(らおや)
羅苧のすげかえ・キセルの傷んだシノを直にやってきた。
○セイセイヤッカン
手風琴を鳴らし・唄をうたい・兵隊の服装で、丸薬をうり歩いた。
○豆ぞう小僧
「マメゾコゾウがきたならば、入れもん小鉢でくれてやれ。入れもん小鉢が面倒な らば、俵・カマスでくれてやれ」、と唄いながらきた。 フクダワラというホイトもきた。
○せきぞろ
春に来て、二人揃って同じことを言った。
○近江商人
反物類を強引に置いてゆき、米が売れたころを見計らって集金に来た。 「貸すに強く・取るに強い」といわれ、評判が悪かった。 多くは、大間々・沼田・下仁田・藤岡などに拠店を設け、その後も近江屋・十一屋などとして残った。
○門づけの起源は、声聞師との説がある。
☆呼び売り補足
○とうがらし売り
江戸時代は、朝汁に唐辛子をふりかけて食べた。
○鼠捕り
「岩見銀山鼠捕り、いたずらものはいないか」と、鼠捕り薬を売り歩いた。
○ヨカヨカ飴
1890年代全盛、
○ティ屋
暑気あたりの薬を四角い箱に入れ天秤を担いで売り歩いた。
○蝶売り
竹の先に蝶々(紙製)をつけて売っていた、後に飛行機になった。
○ランプ売り
籠にランプやホヤを入れ天秤をかついで売り歩いた。
○魚屋・豆腐屋
天秤かついで売り歩いた。
○風鈴売り
○虫売り
鈴虫・くつわ虫などをカゴに入れ売り歩いた。
○毒消し売り
越後から、紺ガスリ着物・モンペ・紺風呂敷で売りに来た。
○イモ売り
イモだけでなく青果も売りに来た。
○その他
下駄の歯入れ屋・キセルのラオ直し・正月のお宝売り(初絵)・お盆のお迎え団子・小間物屋・呉服屋・七夕の青竹売り・玉売り(シャボン玉を吹きながらの飴売り)・孫太郎虫売り・水売り(甘い水ではあるが冷たくなかったらしい)、などあった。
☆ホラ吹き
巻貝にあけた小さい口からひと吹きすると大きな音が出るので、小さいことを大げさ(嘘を交えて)に言うことを意味するようになった。
☆雁首
古くは「キセルの頭部分」、雁の首に似ている→人間が頭を垂れている様子にも似ている。
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