勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)
○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。 さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる) 「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。
○旅人となり伊勢参りをしたのが「坂東太郎の大岩」、宿銭を借りたがちゃんと返した。
○沢入春場見・渡良瀬川にあるのが「夫婦岩(雄岩と雌岩)」、伊勢参りに行ったり・川に沿って動いたりと忙しかった。
○東村座間の宝塚には、戦で得た宝物が埋まっている…かもしれない。
○魚釣りに来た人が、大きな魚が泳いでいるのに釣れないので業を煮やして石を投げたら、赤ん坊に変身して滝を上がってきた、のが「カリガケの滝」。 もっぱら、カッパの仕業とのウワサ。
○東村橋場平の「天狗の森」の木を伐ってはいけない。
○飛んできた天狗様が止まるのが、東村葡萄沢の「天狗岩」。 旧正月十五日には、天狗の酒盛りがあるので、近づいてはいけない。
○東村大畑の「蛇石」は、崖から突き落とされた人が白蛇となったしるし。
○黒保根上田沢では、日向天狗とオロ天狗が喧嘩したが、日向天狗の勝ち。
○赤城の神様と日光の神様が、一夜でどちらが高い山を作れるか競争した。 赤城神は黒桧山を造り・その掘った跡が大沼となり、日光神は男体山を造り・掘った跡が中禅寺湖となった。 しかし、赤城神が小沼を掘っているうち夜が明け、残った盛土をほったらかしたのが地蔵山。 よって日光神の勝ち。(赤城神がアカガラとゴマですべって転んだのが敗因とも) 勝った日光神がたくさんの宝物をせしめて帰ろうとしたが、あまりにも重いので藤蔓で背負おうとしてあせり、一堀りしたのが覚満淵・放り投げたのが上野島。
○黒保根八木原・渡良瀬川釜ヶ淵には、椀貸し伝説がのこる。
○幼児の夜泣きを治してくれるのが、黒保根下田沢の「インミョウ稲荷」。
※延命が訛ったともいわれる。
○黒保根上田沢の「栗生神社」の暮石は「ドウキンの墓」、新井民部道金が栗生神社を祀ったといわれる。
○黒保根宿廻では、キリギリス(スイッチョ)は鳴いてはいけない。 城主阿久沢様が禁止した。
○1782年、新里村・粕川村・宮城村・赤堀町五千人余のいにより、赤城の百足鳥居が建てられた。
※百足は神様の使いであるから、決して殺してはいけない。
○新里村奥沢羽黒には、「オオカミの恩返し」なる伝説がある。(井戸に落ちたオオカミを助けたら、山道で他のオオカミを追い払ってくれた)
○享和年間、成道した北爪吉太夫が刻んだのが「大梨子の磨崖仏」。
○1772年、瀧興寺の尊盛和尚が読誦していると花瓶の中のカヤから根が出てきたので境内に植えたところ、やがて大木となったのが瀧興寺「法印のカヤ」。
○新里鶴ヶ谷にあるしだれ桜は「お藤桜」、「おかめ桜」ともいわれる。 新川には「お角桜」というのもあった。
○新里村上山の山上城址近くににあったのが「蚕影神社」・「火雷神社」・「日本武尊命神社」。
○八雲大龍神(龍神様)は雨乞いの神様、寺には龍の頭蓋骨が納められているらしい。 善龍寺の龍門は左甚五郎作、彫った龍が夜毎暴れたといわれる。
○大坊主が二尺の火の玉を棒で転がす「火の玉ころがし」を見たらしい。 また、ゴロンゴロンと茶釜が転がる「茶釜ころがし」にあった人もいるらしい。
○下橋場では、毎夜白狐が「ズイコン・ズイコン」と道守りの随根をよんだともいわれる。
○桃井次郎尚常が主君新田義貞の首級を密かに運んだのが善昌寺、自害したのが「桃井塚」。
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