小野小町
○小野小町像(内山永久寺蔵)
平安期の食通として、鯉・鱸・鮒・鶉汁・熊の掌・鵞鳥の咽喉・兎の唇など何でも食べたらしい。 その結果晩年がコレともいわれる。
☆徳川将軍家では、嘉例として元旦に「兎の吸物」を食したらしい。
☆鶴料理
江戸城には、正月祝膳に将軍より重臣に「鶴の吸物」が振る舞われたらしい。(豊臣秀吉が朝廷に献進したといわれる)
※長寿を願って、年始の嘉例に鶴を調理した。
妙齢期
☆グンマを話そう:小野小町
歳とった小町が故郷へ帰る途中で病気(疱)になり、上野国甘楽郡小幡谷鏑川そばにお堂を建てて住み、石薬師を拝んだといわれる。
※富岡周辺には、小野小町に係わる伝説が数多く残る。
★小野小町
小野小町の許へ通った少将は、百夜通いを目標にしたが九十九夜目に死んだので九十九は凶。
古画類聚 後集 古画 人形服章 肖像1 小野小町像
画像番号: C0029964
列品番号: P-2803
作者: 松平定信
時代: 江戸時代_寛政7年(1795)
形状: 48.4×1217.4
フィルムサイズ: 4×5
撮影目的: 『古画類聚_図版篇』後集NO.1-009・010
備考: 原本 小野小町像(大和国内山永久寺旧蔵)・武田信玄像(和歌山成慶院)
☆小町寺
京都・補陀洛寺 (小町寺)には、小町の頭蓋骨があったともいわれる。
○鷺料理専門店
江戸時代、江戸金杉大恩寺前田川屋なる鷺料理屋・駐春廷があり、繁盛したらしい。
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