歯磨
○歯磨
明治二十八年本舗東京資生堂(現資生堂)が福原衛生歯磨石鹸発売。 明治二十九年「ライオン粉歯磨」発売。 その後、花王散歯磨・ライオン歯磨・菊世界はみがき・ベビー歯磨・アーム歯磨・コルゲート・スモカ歯磨・鹿印練歯磨・クラブ歯磨・象印歯磨、などあった。
※ライオン歯磨きの社名は、ライオンの牙が白くて強いので「ライオン歯磨き(獅子印ライオン歯磨)」とした。(当時は象印歯磨・鹿印歯磨など獣名が多かったので、より強い名にした)
○ライオン歯磨・磯部工場
明治41年9月磯部温泉に炭酸カルシウム工場建設(小林商店、後のライオン歯磨)。
☆ライオン株式会社
明治二十四年小林富次郎商店が石鹸などの取次業開始。 明治二十九年「獅子印ライオン歯磨」発売、頑強なライオンの牙を商標とした。
※歯磨きが17番目の商品だったとの話もある。(NO17を逆さに読んだとも)
☆サンスター
1946年金田邦夫が「金田金属工業株式会社」創業、その後、歯磨に合わせて「サンスター株式会社」に改称。
※「朝と夜に歯を磨こう」というので、SUNとSTAR→サンスター。
☆サンスター
1932年金田邦夫兄弟が「金田兄弟商会」創業、1941年「帝国合同ゴム工業」に改称。 戦後、ゴム糊をチューブに入れる機械でチューブ入り練り歯磨きの製造販売をはじめた。
☆デンターライオン
ディンティスト+ドクター
※本来は「ドクターライオン」としたかったが、誇大名となるのを恐れたらしい。
☆百助・浅草
武田信玄家臣が江戸で町人となり・日本橋亀井町油問屋中島屋三郎右衛門に十余年勤め・名主宮辺又四郎の娘ゆりと結婚し・浅草駒形に中島屋を開店した。
明治時代になり世継ぎがいなかったため百助夫婦を養子に迎え、百助が猿若町の芝居を見て・化粧方法「百美人白粉」を考えたといわれる。 これが深川芸者にはじまり・直ぐに一般に広まり・全国的に流行した。 その後、貝殻にいれた髪付油「薫香油」を売り出した。
☆百助
江戸時代百助先祖が浅草駒形に小間物問屋を開き、その後百助が養子となり化粧白粉・百美人白粉を売り出した。 これが一般家庭に普及し・浅草参拝者の土産としても、爆発的売れ行きとなった。
※百美人白粉には塩基性炭酸鉛が含まれていたらしい。
明治三十二年
☆小林富次郎
小林喜助・マス夫婦が新潟県中頸城郡柿崎村から、天保六年に武州松山町に移り酒造りの店「宮崎屋」を構えた。 弘化四年大火により焼失し・同業者からよそ者と追い出され、与野の井原平八(十代目)の酒蔵を提狩り醸造業をはじめた。 嘉永六年に生まれた富次郎は、四歳まで柿崎村で暮らし、十六歳で与野小林酒店へ戻り働いた。 その後三男虎之助が店主となるが、明治二十年店をたたみ・井原宅から離れた。
明治十年小林富次郎は墨田区向島の鳴春舎・石鹸工場に就職、後に独立し燐寸や石鹸原料の取次業をはじめた。 この利益で歯磨きの研究に着手、明治二十九年獅子印粉歯磨を発売した。
猿若塚
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