浅草公園
○浅草電気館
明治三十六年十月、見世物小屋を改装し映画常設館(椅子席)となる。 大人三銭・子供半額。 他に、帝国館・大勝館・三友館・日本館が改装し、浅草六区映画街となった。
※明治四十三年九月十日、浅草公園内にルナパーク開設。
☆ルナパーク・るなぱーく
明治四十三年九月、吉沢商店が浅草にルナパークを開園、明治四十四年四月二十九日汽車活動館失火し経営難となる、明治四十五年三月東京ルナパークに改組、大正三年頃閉園。
花屋敷が日本的な遊園地に対し、ルナパークはアメリカ式遊園地であり・コニーアイランドを模したといわれる。 新世界の元の遊園地も「ルナパーク」とよばれた。
ルナパークにあった施設は、東京及び地方の名物売店・海外諸国の物産販売所・肖像写真撮影所・各種飲食喫茶店・南極旅行館・天文館・海底旅行館・自動機械館・木馬館・電気発音機館・天女館・植物温室など、また中央の庭園には高さ50尺の築山を作り・その山上より大瀑布を落とし・その下に池を掘って周囲には四季の花を植えた。
さらに汽車活動館と相撲活動館があり、汽車活動は椅子席にモーター仕掛で汽車の走る時のような振動が与えられ・映写幕には鉄道院の依託で撮影した列車上からの展望映画が映写された。 相撲活動は、相撲の取組を撮映した映画が説明者の口上につれて映写され浅草の名物となった。
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