石の宝殿
☆石の宝殿及び竜山石採石遺跡
兵庫県の瀬戸内海に注ぐ加古川西岸河口近くの竜山石と呼ばれる凝灰岩からなる古墳時代から現代に至るまでの採石遺跡。 ここには石の宝殿と呼ばれる竜山石の岩盤を掘り込んだ遺構がある。 幅約6.5m・高さ約5.6mろ奥行約5.6mの直方体で、後面に突起部が付き重量は推定465t、七世紀の横口式石槨を製作しようとした跡との説が有力である。 現在、石の宝殿は生石神社の御神体となっている。 十二世紀の文献では、「生石大神」と記されて人知の及ばないものとして信仰の対象となり、近世には延べ140名の西国大名らが参詣し、シーボルトが著書『日本』にスケッチを掲載している。
竜山石の採石は古墳時代に始まり、前期古墳の石室材・中期には巨大古墳に採用された長持形石棺の石材・後終末期には家形石棺の石材となった。 古代には京都府恭仁宮の礎石建物、中世では石塔・板碑・石仏などの石造物に、近世には木造建築物の基礎石や・墓標・道標・鳥居などの石材となった。
竜山石は古墳時代から現代まで採石活動が行われており、なかでも石の宝殿は七世紀の採石技術を知る上で希少な遺構で、中世までには生石神社が創られ・信仰の対象となり、現代に至る稀有な例でもある。
☆石宝殿古墳(大阪府寝屋川市の高良神社裏山)
大阪府寝屋川市打上
生駒山西麓の支脈丘陵のゆるい南側斜面中腹に位置した後期古墳。 墳丘はすでに流失し、内部主体が露出しているが、古墳の占地からすると一辺約15mほどの方形墳と推定される。 主体部は、花崗岩の底石(長径約2.7m・幅約1.6m)とそれをおおう蓋石(長さ約3.2m・幅約3.3m)からなり、蓋石の内側をくり抜き底石と合わせて墓室としている。 さらにその外方には、2個の巨石を配し羨道部としている。 このように各一個の巨大な花崗岩をくり抜き墓室を構築しているものは、きわめて稀有である。
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