髭地蔵 メモ
○髭地蔵
台東区上野公園不忍池
「おんまら大明神」とも呼ばれ、吉原では信仰があり・各屋に祀られた。
「おおまら こまら ひやかしまらのこないように」と拝んだ。
☆不忍聖天院
寛永初め、三代将軍家光が江戸鬼門にあたる上野台に鬼門除けとして寛永寺建立・不忍池を琵琶湖と見立て池の中に弁天島を築き琵琶湖竹生島に擬した。 聖天宮を祀る島はそれ以前からあり、小舟で詣った。
☆忍池弁不天嶋・聖天宮・聖天堂・髯地蔵
高さ台石とも六尺ばかり、正面より見れば笠を被り・髯髭を蓄え・足駄をはき珍妙な一地蔵であり、背面より見れば何等これという彫亥なく男根に似ているもので・近隣の石像には延宝とか元禄のものが見えるが、この地蔵には年号は見当らない。
これは「役の行者」の像で、性的神の信仰は一時的のものであったらしく、先ず天明の中葉から文化文政を頂点として江戸終焉迄の俗信と見られる。
昭和の今日、終戦後も従前通り上野の山を背にして池端七軒町の方へ向って立っている。 (図版第二一上段「江戸名所図絵」巻五に載せる不忍池の俯瞰図(図版第二一下段参照)によれば、弁財天を祀る中島とは別個に聖天を祀りし小島があり、この性的な髯地蔵はこの島にあり、すでに述べた性的なる聖天と何等かの関連を持っていたかも知れない。
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