東京第一陸軍造兵廠川越製造所 メモ
東京第一陸軍造兵廠川越製造所・メモ
埼玉県上福岡市福岡1~2(元日本無線)
○川越製造所第一工場・第二工場
※1936年10月1日東京工廠福岡派出所設置、1937年12月造兵廠火具製造所福岡工場(第三製造所)開設、1942年8月東京第一陸軍造兵廠川越製造所(火工廠)として独立。
☆東京第一陸軍造兵廠川越製造所(火工廠)
上福岡の中央にあたる地域、上野台団地から上野小学校・福岡中学校・大日本印刷までの敷地には、昭和12年から太平洋戦争終戦の昭和20年まで陸軍造兵廠川越製造所と呼ばれた陸軍の弾薬工場がありまして。
当当初は「火工廠」と呼ばれ、東京十条にあった陸軍工廠本部の施設拡張のため移転先として福岡村が選ばれ、昭和4年から5年にかけて用地買収が進められました。 そのときの面積は約7万6千坪(約25万1千㎡)でした。
建設工事は昭和11年11月に開始され、翌年12月に開場式を迎えました。 操業開始後も規模は拡来され、終戦時までには16万5千坪(約55万㎡)になりました。 建物の総数は大小合わせて最大600棟以上・働いでいた人は川越中学校・福岡国民学校などからの学徒動員・女子挺身隊などの勤労動員された人たちも含めて最大で数千人にも及んだといわれてます。
創業開始によって、多くの人々が福岡村に徒歩・自転車・東武東上線で通勤していました。 また「官舎」・「営団」・「徴用工舎」と呼ばれる従業員専用の住宅・宿舎も周辺に建てられ、昭和初期には約二千人だった福岡村の人口は終戦時には七千人を超えていました。
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