蕨城跡
☆蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。 江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。
○蕨城
和樂備神社南方に渋川氏居館の跡とも伝えられる。
☆蕨
古くは「藁火の里」ともいわれたらしい。 ただ城を造るに際して「火」は良くないので「蕨」としたともいわれる。
☆蕨
古く、薪の代わりに藁を燃やして煮炊きし・暖をとったといわれる。
☆蕨城
蕨城主渋川公は足利氏とともに下総国鴻の台での合戦で北条勢に破れた。 上州木部家息女だった渋川公奥方は侍女を連れ、蕨城を抜け出し・上州を目指した。
途中榛名神社にお参りし、蕨の地の平穏を祈り・榛名湖に身を投じた。 そしては竜となり、榛名湖の主・竜体様とよばれた。 侍女も後を追って身を投じ、カニとなった。
※「蕨の地に雹が降らないように」と祈ったともいわれる。
☆遠山寺・嵐山町遠山
遠山寺開山・瀬怒全芳和尚の兄は群馬木部の殿様だったので、「遠山には雹が降らない」との伝説もある。
○市子塚、蕨市・一里塚近く
巡礼の母娘、村人が病で動けなくなった母親を助けたの機に下蕨部落に棲むことになった。 娘はとびきりの美人、多数の縁談から悩んだ娘は入水してしまった。
※市子は巫女のこと
○火消しの竜、蕨市・三学院
山門の竜、口から水を放ち火事をくいとめた。
○八百比丘尼が滞在した東光寺、蕨市・東光寺
旧兼松羊毛株式会社蕨工場北方
○比丘尼塚、蕨市・比丘尼田
尼僧が世をはかなんで沼に身を投げたといわれる。
※比丘尼は、笈本尊を納めて村々を巡歴したといわれる。 口寄せを業としたとも。
○落人村、蕨市・ペリカン石鹸跡
藤原鎌足後胤金子右馬馬之助一族が、保元平治の乱を避け・蕨元村本村に落ちのび蕨開発の祖となるも明治初年絶家。
○鎧塚、蕨市・蕨城
蕨城主渋川公と共に戦死した部将の鎧・兜を埋めた。
○八百比丘尼の開いた田、蕨市・蕨本村
比丘尼田
○八百比丘尼の植えた椿、蕨市・蕨本村 花木山東光寺
○八百比丘尼の守護仏、蕨市・蕨本村 花木山東光寺
○経塚、蕨市塚越・
○蕎麦を作らぬ話、蕨市塚越・
渋川公家臣由来
○市子・いちこ
梓弓に矢をつがえ・東西に向けて弦弾きをし・神の名を唱え・生人死人の霊を招き伝える、口寄せ・梓巫女ともよばれた。
下北恐山
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