帆船日本丸 (1)
☆帆船日本丸
建造主:文部省航海訓練所
昭和/1930
2,278総トン、全長97m
文部省航海訓練所の練習帆船として1930(昭和5)年に建造。戦中戦後の徴用の時期を除き、引退する1984(昭和59)年までに地球45.4周分の距離を航海し約11,500名の船員を養成した。1984(昭和59)年に横浜市西区にある石造り1号船渠に係留され、翌年から一般公開されている。
☆旧横浜船渠株式会社第一号船渠
明治/1898
全長204m、幅34m、深さ10m
1898(明治31)年、横浜船渠(後の三菱重工業)が船の修繕用の船渠(ドック)として建設。1982(昭和57)年まで使用される。1984(昭和59)年から帆船日本丸を係留している。2000(平成12)年12月に国の重要文化財に指定される。
石造、煉瓦造及びコンクリート造乾船渠(ドライドッグ)、左右翼壁附属 旧横浜船渠株式会社第一号船渠は,海軍技師の恒川柳作が設計し,明治29年7月に起工,明治31年12月に竣工した。その後,大正期に船渠の内陸方向に延長された。現在は,係留されている日本丸の検査,修理に使用されている。 建設当初,第一号船渠は,総長約168メートル,上幅約34メートル,渠底幅約23メートル,渠内深さ約11メートルの規模を有した。その後,大正期の改修で,渠頭部方向に拡張して総長約204メートルとなった。 旧横浜船渠株式会社第一号船渠は,建設当時,最大規模を有した明治期の代表的乾船渠の一つである。大正期に築造された躯体延長部分も土木技術の時代的特色をよく示し,乾船渠築造技術の変遷を知る上で価値が高い。 また,第一号船渠は,官民の協調により実現した横浜港修築第一期工事の掉尾を飾る土木構造物で,近代横浜の社会基盤形成史上も,重要である。
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