氷川神社
○氷川神社・遍照院持
中世の創建、鎌倉街道を隔てて「男体社」と「女体社」があった。 明治初年神仏分離により二つの氷川神社となる、明治四十二年女体社・氷川神社が上尾宿鍬神社に合祀され、男体社・氷川神社だけが残った。
※かつては、境内に湧水池があり雨乞いが行われた。
※「男体社」と「女体社」二つの社があったので、二ッ宮。
☆氷川鍬神社
上尾市宮本町1-14
むかしむくれて中山道は上尾宿、三人の子供が引く荷車が村はずれで動かなくなった。 村人達も加わり荷車を押したが動かない、まるで上尾宿が出るのを嫌がるようであった。 そこで、荷車の箱の中にあった二本の鍬・稲穂十束・金色の幣束をお堂に納めた。 きがつけば、三人の子供の姿はなかった。
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