川越城跡
☆河越館跡
鎌倉時代の関東武士のなかで、とりわけて重鎮の位置を占めた河越氏の館跡である。 遺跡は、現在の川越市の北西、入間川西岸に接する平坦地にあり、その東南部を占める常楽寺境内をはさんで、東西約150メートル、南北約200メートルの方形の区画を思わせる高さ1~3メートルの土塁及びその外側の堀が一部遺存している。
川越市教育委員会が、昭和46年~50年に実施した発掘調査により、平安時代末期から戦国時代にかけての堀や井戸、住居などの遺構が検出され、『新編武蔵風土記稿』が上戸村常楽寺の挿絵として描く河越館跡の姿が、現地においてほぼ確認されるに至った。
河越氏は、秩父氏の一族で、平安時代に河越荘の開発領主として勢力があり、その私領を後白河院に寄進している。 重頼のとき源頼朝に重用され、その娘が義経の妻となったが、義経没落の際、縁坐して重頼は誅された。 しかしその後も河越氏は依然として御家人の上位に位置し、室町時代に至るまで、有力武将として活躍した。 この間、河越館が河越氏の居館として継続したものと思われ、本史跡は、鎌倉時代から室町時代にかけての関東武士の館跡を考察しうる遺跡として重要なものである。
☆川越城の七不思議
初雁の杉・霧吹きの井戸・人身御供・片葉の葦・よな川の小石供養・天神洗足の井水・城中蹄の音。
※毎年北方より飛んできた初雁が、城内三芳野神社裏手の大杉の上で三度鳴き・三度回って、南方へ飛びさった。
☆ヤナ・水の怪
川越城跡芳野天神下の泥深い堀の主は、正体は明らかでないがヤナと呼ばれる怪物。 川越城が危急の際、敵兵が搦手の堀まで攻めてきたら、たちまち霧を吐き・雲を起こして魔風を吹かせ・四方を暗夜のようにする。 しかも洪水を起こして水を氾濫させ、敵に方角を見失わせる。 土地の者は恐ろしがってヤナについて詳しくは語りたがらない。
※十方庵遊歴雑記
☆霧吹きの井戸・霧隠城
ふだんは蓋をされているが、万一戦いとなり敵が攻めて来たら蓋をとると、井戸の中からもうもうと霧が湧き・一面にたちこめて城をすっぽり包んで隠す。
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