寿福寺
○木造 国一禅師坐像
寿福寺は仙谷山と号し、臨済宗建長寺派の寺で、縁起によると推古天皇六年に開基されたといわれています。
禅宗では祖師尊崇の傾向が強く、数多くの肖像彫刻が造られました。 像主は多くの場合、法衣を着て曲彔と呼ばれる椅子に坐り、法衣の裾や袖は曲彔の下に垂れ下がるように表されています。 この種の像を美術史では頂相彫刻と呼んでいます。
当寺には市の重要歴史記念物に指定されている木造国一禅師坐像が所蔵されています。 本像は、法衣の裾を垂下し、曲彔に坐す通常の頂相彫刻の姿に造られています。 構造は寄木造・玉眼で、漆地に彩色を施していましたが、現在はほとんど剥落しています。
像主の個性的な顔立ちは的確に表現されていますが、法衣の表現に少し形式化の跡が認められるところから、禅師が亡くなってから暫くした後に造立された追慕像で、制作年代は室町時代と考えられています。 像主が国一禅師であることは、像の首枘に「国一禅師」と記された銘文などによってわかります。
国一禅師は、常陸の国に生まれ、無学祖元に師事した後、下総光福寺や鎌倉万寿寺(廃絶)や建長寺の住職を勤め、元亨元年に89歳で亡くなりました。
また、胎内には2枚の銘札が納入されており、正徳五年に仏師薩摩が、明和六年には三橋永助がそれぞれ修理したこと、大正八年に建長寺(鎌倉市)の塔頭であった向上庵(廃絶)から寿福寺に移されたことがわかります。
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