神山家煉瓦蔵
☆神山家煉瓦蔵・煉瓦塀(旧平方煉瓦製造所)
神山太介は明治41年に近隣の有志と共同出資して、平方煉瓦製造所を設立した。事業は同45年ごろから本格化し、製造された煩瓦は川越方面を中心として近隣に出荷された。 神山家煉瓦蔵は、同製造所の最盛期に近い大正10年11月に地元の大工・原島博泰らによって建設(棟札銘)されたものである。
構造形式は煉瓦組積造り(イギリス積み)、2階建てで、煩瓦造り部分の規模は、桁行約5.71m、梁間約3.88mである。屋根は南北を棟とする切妻型で、木造の和小屋の上に桟瓦茸である。 東側に入口をもつ平入りとなっていて、桟瓦茸の 木造下屋庇が取り付いている。 また、道路沿いに同時期に造られた煩瓦塀(-部改修)がある。
欧米に範をとることを求められていた時代に、地元産の煩瓦によって、また地元の職人によって建設され、ほぼ完全な形で現存している点で、市内の近代化遺産として貴重である。
☆宝池院馬蹄寺
上尾市平方2088
三輪の庄司好光が是好から借りた十六両を返ずに死んだため、馬に生まれ変わり働いた。 そして川越の殿様へ荷物を運んだのを最後に息絶えた。 これを聞いた是好、平方に馬蹄庵を建て馬を葬った。 後に、感誉上人がこれを知り、宝池院馬蹄寺となづけた。
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