寛永寺
☆東叡山寛永寺
徳川三代将軍家光が、川越喜多院天海僧正に命じて建立(寛永二年)。 最盛期は寺域30万坪、明治維新上野戦争で堂宇のほとんどを焼失、明治十二年川越喜多院から本寺堂を移設し根本中堂とした。
四代家綱と五代綱吉が上野寛永寺に葬られたが、六大将軍以降は徳川家菩提寺の増上寺と調整するようになった。
※寛永寺には、八代吉宗・十代家治・十一代家斉・十三代家定の霊廟があった。
☆江戸五色不動
寛永年間三代将軍家光が、天海僧正の進言により江戸鎮護と天下泰平を祈願して五箇所の不動尊を選んだ。
目青不動(教学院・世田谷)、目赤不動(南谷寺・文京区)、目黒不動(竜泉寺・目黒区)、目白不動(金乗院・豊島区)、目黄手道(永久寺・台東区、または最勝寺・江戸川区)。
☆寛永寺渋沢家霊堂 台東区上野桜木1-14-11
明治/1898
木造平屋建、瓦葺、建築面積79㎡
渋沢栄一前妻の十七回忌にあわせて建設と伝える。 桁行四間半・梁行四間半・宝形造・瓦葺で、正面は両開桟唐戸、その左右に花頭窓が付き、柱上に舟形肘木を載せる。 軒は一軒疎垂木。 内部の内陣境の欄間彫刻,杉板小壁や杉戸等の彩色画に見所がある。
☆寛永寺護国院庫裏
東京都台東区上野公園10-18
昭和前/1927
木造平屋一部2階建、2階部を除く、瓦葺、建築面積386㎡
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