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とうきょう伝説

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東京伝説

☆スッテクリョウ、秋川市菅生・
 兄弟の太郎と二郎、太郎の白馬を二郎が代掻きに使い喧嘩となり・太郎は殺されてしまった。 太郎は埋葬のさい頭を剃ってなかったので今尚「剃ってくれ」…

☆足立姫と六阿弥陀、足立区扇2・性翁寺
 豊島氏に嫁いだ宮城宰相の娘足立姫、不縁となり川に身を投げた。 父は姫の霊を弔うため紀州熊野にて霊木を得、行基が六体の阿弥陀仏と木余如来を彫った。

☆猿仏塚、足立区栗原1・島根小学校前
 むかしむくれて農家には利口な猿、ある日家人の留守に赤ん坊を風呂に入れたが、誤って死なせてしまった。 悔やんだ猿は、食を断ち死んだ。

☆田光り観音、足立区中川3・西光院
 あるむかし作男が畑仕事をしていると、ある場所で決まって馬が動かなくなる。 不思議に思い掘り返すと木片が出てきた。 洗うと観音様であった。

☆吉兆の鷲、足立区花畑7・大鷲神社
 新羅三郎義光が奥州征伐のおり、綾瀬川で身を清め・祈願すると、一羽の鷲が飛来し・川の水は白旗がなびくように輝いた。 そしては村人は、鷲を祀る社を建てた。

☆恨みの蛇橋、足立区花畑8・蛇橋
 享保年間名主新八は、綾瀬川洪水から村を守るため堤を壊そうとしたが、下流の村人達に殺され・母親も橋から身を投げた。 その後、橋には大蛇が現れるようになり、橋は「蛇橋」とよばれるようになった。

☆耳なし不動、荒川区荒川3・耳なし不動尊
 仙光院住職光慧、婚約者が遊女に売られたので日々通い詰めるも悪疾に罹り耳を失った。 そこで発起し仏門に入り・不動産を建立した。

☆投げ込み寺、荒川区南千住2・浄閑寺
 安政の大火で遊女2700名が無縁仏として葬られた。

☆素盞雄神社瑞光石、荒川区南千住6・素盞雄神社
 始祖黒珍が住居東方に連夜奇光を発する岩を見つけ・日夜礼拝するも、ある日老翁二人現れ「我々は、素盞雄大神と飛鳥大神なり」。 そしては奇岩を祀り・神社を建立した。

☆汐入の守護神、荒川区南千住8・胡録神社系境内
 上杉謙信家臣高田嘉左衛門、戦乱の世を憂い・汐入の荒地を開拓し村を築いた。

☆不動の滝、板橋区赤塚8・
 江戸時代大山詣り・富士詣りの人々が身を清めた。 どんな干魃でもでも涸れたことがなかった。

☆夫婦槇、板橋区西台3・円福寺
 慶安年間建立の禅寺、西台の大寺とよばれ・本堂前に二本の高野槇、白蛇が棲むといわれた。

☆乞食六蔵伝説、板橋区弥生町・下頭橋
 寛政年間丸木橋たもとに住みついた老乞食六蔵、喜捨を受けて暮らしていた。 死後懐中より大金が見つかり、村人は石橋に架け替え・六蔵を菩薩として祀った。

☆舌を抜かれた獅子、稲城市大丸・円照寺
 円照寺溜池が干上がったのを不審に思った住職が夜番をしていると、三匹の獅子舞が・土蔵から出て・池の水を飲みはじめた。 そこで住職は獅子を捕らえ・舌を抜いた、といわれる。

☆坂浜の一番鶏、稲城市坂浜・高勝寺
 一番鶏を合図に、浅草塗師に修理を頼んだ本尊を受け取りに行くことにした。 すると真夜中に鶏が鳴いたので出発し、浅草で本尊を受け取った。 帰り道振り返ると、塗師の家が燃えていた。

☆片目の鮒、江戸川区一之江3・妙音寺
 あるむかし目が不自由な娘が薬師様に願を掛け・見えるようになると、池に鮒を放つと、鮒は片目になった。 

☆鏡ヶ池、江戸川区江戸川3・明福寺
 嘉禄年間親鸞が雨乞いのため、池に姿を映し・木像を彫り・池の水をかけて祈ると、雨が降りだした。

☆弥陀堂の和尚、江戸川区上篠崎2・
 弥陀堂の和尚、右手に数珠・左手に木魚を抱え、踊りながらお経を唱えた。 
※常磐津の文句にもある

☆雷不動、江戸川区東葛西4・真蔵院
 永禄年間の大雷雨の日、雷が収まった後不動の宝剣に血が付いていた。 村人は不動様が雷を退治したと信じ、雷不動とよんだ。

☆臨滅度時の鐘、大田区池上1・本門寺
 弘安五年十月十三日、日蓮が入寂・弟子日照が鐘を打ち鳴らすと、大地が振動し・桜が咲いた。

☆鈴石、大田区大森北2・磐井神社
 転がすと鈴のような音が聞こえる、地名「鈴ヶ森」のおこりともいわれる。

☆お七地蔵、大田区大森北3・密厳院
 八百屋お七慰霊の地蔵。 
※墓は文京区円乗寺

☆水止舞由来、大田区大森東3・厳正寺
 あるむかし、住職が竜神を浮かべ雨乞すると雨が降り・里人が水止の舞を踊ると長雨が止んだ。

☆義民六人衆の墓、大田区山王3・善慶寺
 延宝五年、領主圧政を幕府に直訴した名主・年寄の六人が捕らえられ打ち首になった。 村人は密かに墓を建て弔った。

☆子育て薬師、大田区西六郷2・古川薬師安養寺
 行基が「庭の銀杏の根方の清水を飲むと乳が出る」と告げた。

☆お花茶屋、葛飾区宝町1・
 狩りにきた将軍が腹痛に見舞われ、新左衛門の茶屋にて娘お花より煎じ薬をもらい飲んだところ痛みが治まった。 そしては「お花茶屋」となづけた。 
※銀の茶釜で立てたお茶が気に入ったともいわれる。

☆葛西の夕顔観音、葛飾区西水元1・安福寺
 寛文年間飯塚名主が霊夢にて土中より円形縣仏を掘り出し、元禄十五年新たに堂を建て安置した。 
※源氏物語にちなんだ名をつけたらしい。

☆人柱老名主、葛飾区西水元4・
 文政三年大雨で猿ヶ又堤防決壊寸前、名主源右衛門は白装束にて・念仏を唱え・入水し人柱となった。 すると水勢は衰え、堤防は守られた。

☆願人坊主と半田稲荷、葛飾区東金町4・半田稲荷神社
 江戸中期、赤法衣に大杓文字を背負った僧侶、「葛西金町半田の稲荷。はしかも軽いがほうそうも軽い」とふれ回った。 江戸で願人坊主とよばれ、景気がよいと歓迎された。

☆しばられ地蔵、葛飾区東水元2・南蔵院境内
 南蔵院門前で盗まれた白木綿五百反、奉行大岡越前裁きで一件落着。

☆お竹如来の墓、北区赤羽西6・善徳寺
 江戸大伝馬町佐久間家女中「お竹」は評判の信心家、「お竹こそ生身の大日如来」といわれた。

☆近藤勇の墓、北区滝野川7・
 胴下がこの地に葬られたたが、一部は盗まれたといわれる。 
※土方歳三の墓もある。

☆足立姫の古墳、北区堀船4・船方神社
 荒川に身を投げた足立姫、堀船に流れ着いた遺体を祀った。

☆琵琶縣けの松、清瀬市野塩3・薬師堂
 一人の琵琶法師が「目が見えるように」と一心祈願し、はたして満願の日に法師の目が開いた。 よろこんだ法師、松に掛けていた琵琶を忘れて立ち去ってしまった。

☆木場角乗りの碑、江東区富岡1・富岡八幡宮境内
 三河の筏師が江戸城修復の用材を深川へ運び、浮かんだ角材上で身軽さを競ったのが角乗り。

☆直助屋敷跡、江東区深川1・法乗院筋向
 東海道四谷怪談のモデルとなったのが直助権兵衛。

☆伏見義民の墓、江東区深川2・陽岳寺境内
 天明五年伏見義民九兵衛ら三人、重税直訴のたる江戸入りするも一人は殺され・二人は陽岳寺照堂和尚に匿われ直訴となった。

☆二枚橋、小金井市東1・
 隣村の男女が恋仲になるも親が許さず、女は川に身を投げた。 そしては橋を見誤り川に落ちて死ぬ人が続出したので、男の親が供養し・二枚橋に架け替えた。

☆真姿の池、国分寺市西元町1・お鷹の道
 嘉承元年、玉造の小町が癩を病み、武蔵国分寺で祈ると童子が現れ「真姿の池で洗え」と告げた。 そして教え通りにすると、病が治った。

☆弁財天池、狛江市元和泉1・泉竜寺
 奈良時代には大干魃、泉竜寺開山僧良弁上が天を仰ぎ・祈ると、寺の大黒松に竜が舞い降り・大雨となり・清水が湧き出した。

☆鯨塚、品川区東品川1・利田神社
 寛政十年五月品川沖に迷い込んだ鯨を捕らえ、浜御殿にて将軍家斉に見せた後、品川で見世物とし、骨を埋めた。

☆寄木明神由来、品川区東品川1・寄木神社
 日本武尊が弟橘姫を伴い東征のおり、相模湾で暴風雨にあい・姫は海神の怒りを鎮めるため入水。 姫の衣と壊れた船体の一部が流れ着いたので、漁師が「寄木観音」として祀った。

☆切られ与三の墓、品川区南品川2・妙国寺境内
 歌舞伎「与話情浮名横櫛」のモデル。

☆水月観音、品川区南品川3・品川寺
 永禄年間甲州武田勢の武士二人、寺を焼き・水月観音を奪い甲州へ帰るも、仏罰にて発狂した。 後に旅の高野聖により観音像は戻された。

☆鮫洲観音、品川区南品川5・海晏寺
 建長三年品川沖で捕れた大鮫の腹から木像の正観音、北条時頼は寺を建て観音像を安置した。 そしては海が安穏になったので「海晏寺」。

☆金王八幡神社、渋谷区渋谷3・警察署裏
 渋谷金王丸の氏神。 金王丸は源義朝の侍童、土佐坊昌俊ともいわれる。

☆ハチ公銅像、渋谷区道玄坂2・渋谷駅西口
 上野英三郎の愛犬。

☆旗洗い池跡、渋谷区本町1・石碑
 八幡太郎義家が源氏の白旗を洗ったといわれる。

☆幡ヶ谷不動秘仏、渋谷区本町2・荘厳寺
 三井寺開祖智証大師作・平貞盛藤原秀郷が平将門追討のおり陣中に供奉、武田信玄が階へ・北条氏政が相模へ移し、家康が戦神として祀ったといわれる。

☆酒呑地蔵、渋谷区本町5・
 働き者の中村瀬平、村人の振舞酒に酔い・川に落ちて死んだ。

☆右衛門桜、新宿区北新宿3・円照寺
 平安時代柏木右衛門佐頼秀が恩賞として賜ったこの地に桜を植えた。

☆四谷怪談、新宿区左門町・田宮稲荷神社
 

☆白馬が駆けた土地、新宿区内藤1・新宿御苑
 徳川家康が関東奉行内藤清成に向かって「お前の馬が一息で回れただけの土地をやろう」。 そしては清成を乗せた白馬は駆けめぐり息絶えた。 

☆鞭洗いの井戸、新宿区西新宿1・朝日生命ビル駐車場
 松平摂津守下屋敷内の井戸、徳川家康鷹狩りのさい水を飲み・鞭を洗ったといわれる。

☆豆腐地蔵、新宿区若葉2・東福寺境内
 毎晩豆腐を買いに来る和尚を狐狸と思い斬りつけた豆腐屋、血の跡をたどると東福院、しかし地蔵尊は笑っていた。

☆豆腐地蔵、杉並区高円寺南2・長竜寺境内
 寛保年間、日暮れになると豆腐を買いに来る小僧、怪しんだ役人が斬りつけ・血の跡を辿ると長竜寺地蔵尊だった。

☆高円寺の茶の木、杉並区高円寺南4・高円寺
 高円寺五代耕岳は徳川家光の信頼厚く江戸城にて法話するも欲浅く、代償として茶の木を求めた。

☆善福寺弁財天、杉並区善福寺3・善福寺公園
 源頼朝が奥州藤原氏征伐のおり水に渇し、神に祈り・弓で地を掘ると、霊水が湧き出た。 市杵島姫命は水の神。

☆方南釜寺、杉並区方南2・東運寺
 本堂屋根上に大釜。

☆狸塚、墨田区墨田5・多聞寺境内
 享和年間多聞寺賑わうも、山内に住む狸たちは怒り境内を荒らした。 そこで本尊毘沙門天が狸たちと交渉し、塚を建てることで妥協した。

☆吾嬬宮、墨田区立花1・吾嬬神社
 日本武尊が弟橘姫を伴い東征のおり、相模湾で暴風雨にあい・姫は海神の怒りを鎮めるため入水。 姫の櫛が流れ着いたの。

☆水神の森、墨田区堤通2・隅田川神社
 神代の昔水神が亀に乗って入江に着いた。 源頼家が平家征伐のおり川を渡ろうとするも風波で渡河できす、水神に祈ると風はなぎ無事に渡れたので、感謝の社を建てた。

☆長命の水、墨田区向島5・長命寺
 徳川家光鷹狩りのおり急病となり、寺内の井戸水で薬を飲んだところ著効あり、よってこの井戸水を「長命の水」とよぶ。

☆血の池帷子、世田谷区奥沢7・浄真寺
 鳥羽屋三郎左衛門の妻が難産で死に血の池に沈んだ。 浄真寺開創珂碩上人が救い成仏させ、血に染まった白帷子だけが残った。

☆しょうづかの御婆様(奪衣婆・葬頭河婆)、世田谷区上馬3・宗円寺
 百日咳に霊験あり、お願生果たしは綿とお茶。

☆十三塚、世田谷区上馬5・常盤塚
 世田谷城主吉良頼康愛妾常盤が自害、同僚十二人がねたんで讒訴したといわれ全員処刑された。 全部で13塚あるはず…

☆豪徳寺の猫、世田谷区豪徳寺2・豪徳寺
 江戸時代は彦根井伊の殿様が寺前に来ると猫が招いたので寺内に入ったところ、突然の大雨・落雷。 危うく難を逃れたので、猫は福を招き・観音の化身とされた。

☆西澄寺の高野槇、世田谷区下馬2・西澄寺境内
 天正二年開山時に高野山から運ばれた槇、登ると失明するといわれた。 以来、薬師如来の化身となる。

☆感応丸と柳の前、台東区上野公園・不忍池
 鎌倉時代谷中の武士関長輝の子感応丸が本郷の「柳の前」姫に恋し・毎夜不忍池を渡り会いに行くも、継母に橋板を外され、感応丸は不忍池に落ち死亡・姫も入水した。

☆秋色桜、台東区上野公園・清水観音堂裏
 元禄年間桜枝に「井戸ばたの桜あぶなし酒の酔」なる短冊。 詠み人は日本橋在十三歳の娘、その俳号にちなみ「秋色桜」となづけた。

☆榧の木と山伏、台東区蔵前3・榧寺
 ある昔一人の山伏が寺を訪れ住職と、庭の萱の木を賭けた碁の勝負に勝った。 山伏が帰ると榧の実が枯れ、数年後山伏が再来するとまた実った。

☆笠森おせん、台東区谷中7・笠森稲荷
 谷中感応寺福泉院内笠森稲荷の水茶屋鍵屋の娘おせんは美人、浮世絵師鈴木春信の美人一枚絵に描かれ・江戸中の評判となった。 
※その後、御家人妻として平凡な暮らしを送ったといわれる。

☆蛇食いじえもん、立川市砂川町・残堀川旧水路
 山で草刈りをしていたじえもん、暑いので狭山ヶ池に飛び込むも・大蛇が現れ、体に巻き付いた大蛇の胴を食いちぎり・逃げ延びた。 大蛇の地が流れたのが残堀川。

☆富士塚と弁天池、立川市富士見町・富士見公園
 でいだら坊が、下駄に付いた土をふるい落としたのが富士塚・下駄でそがれた跡の穴が弁天池。

☆佃島、中央区佃1・
 白魚献上のため大阪佃村漁民が移住した。 
※大阪方を探る目的だっともいわれる。 出漁無制限・通行特権あり、と特別待遇だった。

☆深沙大王堂、調布市深大寺町・深大寺
 深大寺開創満功上人の父がひとりの娘を助け・妻にした。 その子満功が僧になり深大寺を建立した。

☆お玉ヶ池、千代田区神田岩本町2・
 溜池梅ヶ池の茶屋の「お玉」、二人の男に挟まれ池に身を投げた。 かつてお玉稲荷があったが、明暦の大火で焼失した。

☆お茶あがれ地蔵、豊島区上池袋3・
 病で逃げ出した板橋宿場女、池袋村にたどり着いたも喉を涸らして死んだ。 そしては「お茶お茶を」なる声が聞こえるようになった。

☆とげぬき地蔵、豊島区巣鴨3・高岩寺
 江戸時代毛利家女中が誤って針を飲み込み苦しんだが、地蔵の絵姿御札を飲ませたところ・御札と一緒に針が出てきた。

☆浦里・時次郎の比翼塚、豊島区巣鴨5・慈眼寺境内
 蔵前の伊之助、遊女三芳野と恋に落ち夫婦約束するも、父親の反対で心中した。 後悔した父親は塚を立て、新内「明烏」で浦里・時次郎と脚色された。

☆すすきみみずく、豊島区雑司が谷3・雑司ヶ谷鬼子母神
 まずしに娘が母の病を治そうと鬼子母神に日参すると「ススキの穂でミミズクをつくるべし」とのお告げあり。 作ると飛ぶように売れ、そのお金で薬を買い・母の病は治った。 

☆丸池の話、豊島区西池袋1・北池袋公園
 丸池の堤に現れる白蛇、近くに住む籐兵衛が神仏の化身として、祠を建てて祀った。 
※地名池袋の源となった池ともいわれる。

☆新井薬師、中野区新井5・梅照院新井薬師
 僧行春が梅の古木が光り輝くのを不思議に思い調べると、一寸八分の薬師如来像が出てきた。

☆江古田・沼袋古戦場碑、中野区松が丘2・江古田公園
 文明九年は太田道灌と豊島一族の決戦場、豊島塚多数。 1937年には慰霊地蔵(沼袋4)がつくられた。

☆お竹大日如来井戸跡の碑、日本橋本町3・小津ビル角
 江戸大伝馬町佐久間家女中「お竹」は評判の信心家、「お竹こそ生身の大日如来」・「生き仏」といわれた。

☆力持ち惣兵衛、練馬区大泉学園2・妙福寺
 怪力の農民惣兵衛が、ある日持ち上げた石を馬の背に積んだところ、馬が押しつぶされてしまった。 村人は馬を哀れみ、大石を寺に奉った。

☆火消し稲荷、練馬区石神井台1・三宝寺境内
 鳴き騒ぐ狐の声に目を覚ました僧侶達、気が付くと寺内に出火するも直ぐに消し止めた。 

☆堰ばあさん、練馬区早宮3・
 用水堰傍に住む老婆、ある日突然いなくなった。 その後に現れた蛇、村人は堰の守護神と崇め・祠を建てて奉祀った。

☆お松様の塚、練馬区東大泉5・
 江戸中期、醜い老婆「お松婆」は花嫁行列を見ると花嫁を襲い・その花嫁は不縁になると恐れられた。 お松婆が死んだ後も亡霊が出るので、村人が供養塚わ立てたる

☆呼ばわり山、八王子市上川町・今熊山
 天皇大和行幸のおり、暴風雨で妃の行方がわからくなった。 神からの御託宣「今熊山頂上祈れ」に従うと、妃が見つかった。

☆恋の沢、八王子市下恩方町・
 相思相愛の男女、女の気が変わり別な男と結婚した。 悲しんだ男は、村はずれの沢で女を殺した。 女の怨念で嫁入り道具が沢を通と離縁になる、とわれる。

☆河童の詫証文、東村山市秋津町5・柳瀬川
 曼陀羅ヶ淵に棲む河童、子供の生肝を食べていたが子供が近づかなくなり、馬の生肝を狙ったが馬子に捕らえられてしまった。 河童は詫証文を書いて許されたという。・ 

☆延命寺蔵、東村山市野口町・正福寺
 北条時宗鷹狩りのおり腹痛を起こし延命寺蔵に祈ると、夢中で僧が一粒の薬をくれた。 翌朝近くの地蔵の手には一粒の薬があった。

☆裸竜、日野市高幡・高幡不動尊金剛寺
 金剛寺を訪れた絵師、住持の求めに応じて紙に一匹の竜を描いた。 すると竜は紙を抜け出て、大日堂天井に張り付いたといわれる。

☆狸寺、府中市本町1・安養寺
 等海僧正が住持だったころ、よく働く筑紫三位なる弟子がいた。 ある日三位が読書中に居眠りをすると後ろに尻尾。 僧正は勤勉さを認めたが、狸は恥じて寺を去った。

☆頼朝の矢竹、府中市宮町3・大国魂神社
 源頼朝戦勝祈願のおり、背中の矢入れから矢を抜き・庭に挿したところ、根付いて矢竹となった。

☆こんにゃく閻魔、文京区小石川2・源覚寺
 宝暦年間老婆が閻魔に眼病治癒を祈願したところ、夢枕に閻魔が現れ「我の目の一つを授くべし」。 老婆の目は治り・閻魔の右眼が消えた。 お願生果たしは、老婆の好物の蒟蒻。

☆於大・千姫の墓、文京区小石川3・伝通院境内
 家康の生母が於大、家康の孫が千姫。

☆沢蔵司稲荷、文京区小石川3・慈眼院境内
 伝通院貫主極山和尚が、三年で仏法を極めた沢蔵司が「稲荷の化身」と知り、稲荷社を建て祀った。 門前の蕎麦屋では、沢蔵司が来た日には銭函に木の葉が混ざっていた。

☆駒込土物店跡、文京区本駒込1・天栄寺境内
 駒込辻の土物店は、神田・千住とともに江戸三大青物市場であった。

☆妻恋神社、文京区湯島3・
 日本武尊が「あづまはや」と嘆息し妃を偲んだといわれる。

☆影とりの沼、町田市下小山田町・大泉寺境内
 湊川の合戦で死んだ小山田高家、奥方や侍女達も城近くの沼で自害した。 以来沼からすすり泣きが聞こえ、村人が供養後も霧の中に多くの蛙を引き連れた女が見えたといわれる。

☆勘助地蔵、港区愛宕2・青松寺境内
 美作津山藩主足軽勘助は大槍持ちだったが、歳には勝てず・槍持ちが辛くなり、ついには切腹した。

☆渋谷長者、港区北青山2・秩父宮ラクピー場
 松前藩下屋敷跡、かつて豪農は渋谷長者宗順が墓所に財宝を埋めたと伝えられるが、未だ見つからず。

☆了然尼の墓、港区白金台3・瑞聖寺境内
 美女なるが故入門を許されなかった了然、自らの顔を焼き・醜くして・入門をゆるされた。 
※墓は、泰雲寺から移された。

☆綱の産湯の井、港区三田2 ・オーストラリア大使館
 源頼朝四天王のひとり渡辺綱が産湯を使ったと伝えられる井戸。 
※綱町三井倶楽部内と竜生院にも井戸がある。 綱町の源は「渡辺綱」。

☆竹芝伝説、港区三田4・済海寺隣に亀山碑
 更級日記原話では、京の帝の姫宮と東国出身の男が隠れ棲んだといわれる。

☆逆さ銀杏、港区元麻布1・善福寺境内
 親鸞上人が、杖を地に立て・祈った。 やがて根が生え・枝葉が広がり・大木となった。

☆三本榎木、武蔵野市中藤・
 あるむかし若者三人が、狭山丘陵にて遠矢を競い合ったところ、三本とも同じ所に落ちた。 これを記念したのが三本榎、乙幡・加藤・奥住の祖先といわれる。

☆吉三の墓、目黒区下目黒1・大円寺境内
 行人坂下の西雲は、お七の恋人吉三の後身といわれる。

☆白井権八・小紫の比翼塚、目黒区下目黒3・目黒不動竜泉寺仁王門前
 宝永年間の鳥取浪人平井権八がモデルといわれる。

☆累塚、目黒区中目黒5・祐天寺境内
 下総羽生村農民与右衛門、醜い女房の累を嫌い・鬼怒川へ落として殺害した。 そしては累の怨念が与右衛門の後妻を次々と襲った。 祐天上人が怨霊を退治したといわれ、法衣と累塚が残る。

☆爺が茶屋、目黒区目黒1・
 徳川家光鷹狩りのおり、彦四郎の茶屋で田楽豆腐を食し「じい、じい」と話しかけたといわれる。 
※徳川吉宗も立ち寄ったらいし。

☆宝仙寺の寺宝、中野区中央2・宝仙寺
 寛永十六年、草刈農民が井の頭池の主「竜」を殺し旱魃となったが、宝仙寺住職の加持修法にて清泉湧出。 寛保二年南蛮渡来の象が死に、像頭が寺宝となった。

☆縁切榎、板橋区本町・大木戸跡前
 享保年間江戸油商が富士山入寂のため榎の下で妻子と別れた。 以来、この榎の下を通る花嫁花婿は別れる…

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とげぬき地蔵

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浦里・時次郎の比翼塚

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 鈴ヶ森

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