梶原の渡船場跡
この奥の隅田川沿いには、明治・大正・昭和にかけて、対岸の宮城村(足立区)との間を結ぶ渡船場がありました。 明治四十一年下野紡績の工場ができ、対岸からも人々が工場へ通勤するようになりました。 そこで、両岸の梶原・宮城地区の住民有志が出資してつくった船の発着場が、この梶原の渡船場です。
子供の頃から父親とともに、船頭をしていた方の話によると、最初運賃は大人1銭・子供5厘・荷車1銭5厘・自転車1銭だったそうで、この渡しができたことで、地域の住民の交通の便が非常に良くなりました。 また、荷車という運賃があるように、駒込にあった市場に野菜を出すための交通路としても利用され、毎日15台以上が隅田川を船で往復していたそうです。
第二次世界大戦中には、足立方面などに軍需工場が多くなり、工場へ通う通勤者の行き帰りの足として混雑したそうですが、交通手段の整備とともに、渡しが使われることも少なくなり、昭和36年その姿を消しました。
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