初代[十和田丸]。
1960年代前半頃までは、青森~函館間:4時間半であった。 しかし、この所要時間には余裕があったようで、数十分程度の接続列車の遅れなら吸収していた。
2等椅子席。(1957年頃)
この当時は、蒸気機関車全盛期であった。 青森を出るときは蒸気機関車で、上野に着くときは電気機関車に変わっていたのを、子供心に不思議に感じたものだ。
食堂。 連絡船の食堂は、後に、船内グリル「ぱしゅい」と改称。
そう言えば、連絡船食堂で「イカ刺し定食」を頼んだら、凍ったままの「イカ刺し」が出てきたこともあった。(1960年頃は、冷凍技術はあっても解凍技術は無かったのかもしれない…)
3等座席。 この船から、3等席も車両甲板の上になり、窓があるようになった。 (4本煙突時代にも、一部の3等席には、喫水面近くに小さな窓があったようだ。)
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