狭山茶 (3)
☆「狭山茶」半分以上は、狭山市ではなくて入間市でつくられる。
江戸時代終わりごろから狭山丘陵で茶作りがはじまり、明治時代初めには「狭山会社」が日本茶を輸出するようになった。 そして、1954年狭山市ができ・1966年入間市ができ、その結果入間市側で「狭山茶」の半分以上がつくられることとなった。
☆おちゃっぴい
江戸時代の遊郭、遊女が暇なときにお茶の葉を挽いていたので「お茶挽き→おちゃっぴい」。
※暇な芸妓が茶臼で茶葉を挽いていたので「茶を挽く」。
☆狭山市
1954年、入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が合併し、狭山市となる。 茶業関係者が多かったので、何としても「狭山」の名を死守。 1966年、武蔵町を主に入間町と改称し市制施行し入間市となる。 「狭山市」すでにあるので「狭山」は名乗れなかった。
※この結果、入間市立狭山小学校、狭山市立入間小学校(現在は無い)などとなった。
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