群馬での暮らし:鏜々が淵
《グンマを話そう》
○鏜々が淵(堂々が淵)
高山村尻高の龍海寺跡・名久田川近くに鏜々が淵があった。 858年春、与五右衛門が藤の花を採ろうと「どうどうが淵」へやってきたが、ふとした拍子に鉈を淵に落としてしまった。 鉈を拾おうと淵に入った与五右衛門は水底深く吸い込まれてしまった。
気がつくと機織り娘が、酒・さかなを運びご馳走してくれた。 三日三晩を過ごした与五右衛門が村に帰ると、村人はいなくなった与五右衛門のお弔いをしていた。 このことがあってから、与五右衛門はすっかり老いぼれて病気がちになった。 そして「あの酒が飲みたい!」
これを聞いた泉照寺・西堂法師は瓢箪を「どうどうが淵」へ浮かべ、お祈りをすると、一旦沈んで再び浮かび上がった瓢箪の中には酒が入っていた。 これが評判となり、人寄せで善・椀が足りなくなると「どうどうが淵」に頼んで借りるようになった。
○鏜々淵の洞穴伝説
かつて洞穴に三顆の珠が祀ってあった。 ある時その一顆を持ち去ったところ、其夜老人が夢に現れその珠を持ち去った。
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