群馬での暮らし:六合村
《グンマを話そう》
○六合村にはグンマから独立した方言があります。
あなた→こんた、 いしけり→けだし、 かくれんぼ→かくねっこ・おにさんこ、 かたぐるま→てんぐるま、 かまきり→とーろー・はえとり・かまぎっちょ・かまよん、 くるぶし→くるみ、 しゃがむ→つくじょむ・しょごむ・しょごじょむ・しょごずむ、 たけうま→たかあし・たかうま、 つむじ→まきめ・まきまーし・まきむし、 とかげ→かまちょろ・かなへび・とかよん・とかちゃん・かまぎっちょ、 なめくじ→なめら・なめらっくじ・なめよん、 ぬかみそ→なめみそ・ふすまみそ・ししょーみそ、 ひたす→ほとばす、 ふくろう→ほろすけ・ほーほーどり、 ふやける→ほとびる、 めんこ→ぶっつけ・ぱっちん、 らっかせい→からまめ、…
○六合村
1890年入山・生須・小雨・太子・赤岩・日影が草津・前口と合併して草津村となるも、1900年草津村から分離独立して六合村となった。 村を流れる白砂川・須川は酸性が強いため潅漑用水に使えず・魚も住まない川であった。(須は酢の意)
しかしながら冬長く厳しい気候にもかかわらず、縄文遺跡がみつかり、中世以降は落人伝説も伝えられ、昭和には群馬鉄山(鋼管鉱業)・太子駅があった。
ただ長くは無医村であり、病人がでたときは「病人カゴ」にのせて草津村まで3時間かかって運んだ。 ただし、1880年頃は赤岩(湯本家)と生須に医者がいた。
このため信仰・呪い・占いに頼ることも多く、医者にかかる時は手遅れのことが多かった。
※占い(オガミヤ)の託宣はほとんどが「寝れば癒る!」だったらしい。
※須川の水を鉄びんに使うと三年で穴があく、といわれた。
※須川の「須」は、酸性の川なので「酢」→「酸」の意。
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