群馬での暮らし:館林城
《グンマを話そう》
○館林城
五百年ほど前、大袋城に赤井山城守照光なる殿様が住んでいました。 ある日、照光一行が千代田村にさしかかると、子供達が子狐を捕まえていじめていました。 照光は家来の鉢形惣五郎に言って、子狐を放してやりました。 ある夜、庭の茂みの中に男が現れた。「この前は子供を助けていただいてありがとうございました。 お礼に良い土地を照会するので新しい城を建ててはいかがてすか。」 と言うと、沢山のキツネがたいまつを照らして道案内し、親キツネの指示の下新しい城の設計図を描きました。
こうして、弘治二年館林城が築城されました。 そして親キツネは「稲荷新左衛門」と名乗りお城を守りました。この城は、キツネが尾を引きながら案内したので「尾曳城」とも呼ばれています。
○七五三
1681年旧暦11月15日、館林城主徳川徳松3歳の健康祈願が始まりともいわれている。 このお祝いを見た庶民が、農作業も終わったし・吉日だし・満月だし、自分たちもお宮参りをしようということになり、やがては七五三と広まっていったらしい。
※徳川徳松は、名目上館林城を継いではいるが実際は江戸住まいであり、5歳で亡くなった。
☆お宮参り
古くお宮参りでは、子供を泣かせた。 泣くことにより神と話をしたといわれた。
※古くは、母親が一緒に行くのもダメであった。
☆11月15日
旧暦では鬼宿日、鬼が出歩かない日なので何をしても吉日。 神様に収穫を感謝し・子供の成長を願った。
☆十三参り・十三詣り・知恵もらい
男女十三歳四月十三日(旧暦三月十三日)に虚空蔵菩薩にお参りする。 昔の成人式の名残。
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