1941年太田~小泉間に鉄道が敷設され、中島飛行機からの軍需輸送を目的として「竜舞駅」が開設された。 当時の戦下では建設資材が入手できなかったので、東武日光線合戦場~日光間の複線を単線にしてレールを流用したとされる。
貞観3年(861)に乱が発覚した時に、朝廷は藤原長良郷に命じて討伐させることにしました。 勝利を祈願した長良郷は陣内各地にまつり旗を立て、この旗が風に舞うさまが青竜に見えたため、「龍舞木の郷」と呼ばれるようになりました。 駅名は地名から命名されたと思われます。
○龍舞町
藤原長良が京都賀茂神社に戦勝祈願し羽生城鎮圧のおり、青龍の旗かせ舞ったのでその地を「龍舞木」と名付けた。(後に略されて龍舞)
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