○子持山
《グンマを話そう》
子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。
※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。
屏風岩
獅子岩
綾戸渓谷
島田家
横堀宿本陣 佐藤家
○高山村
1889年尻高村と中山村が合併し、両方の村名をとって高山村となった。 尻高の由来については、アイヌ語源説がある。日本武尊が「山の形が馬に似て、尻が高く稀異な形よ」と言ったとの説もある。
子持山は大黒岩を火口に噴火し、その時期は赤城山・榛名山より古いといわれている。
1200年阿佐美氏が中山城主となり、1582年まで17代にわたり中山城が続いたそうだ。(12代から中山氏となる) 1396年尻高城築城(城主尻高左馬頭・藤原重義)、1580年落城。
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