グンマの昔:観音山
○観音山
観音山丘陵には、金井炭坑・興亜亜炭礦業・乗附礦業所・長坂礦業などの亜炭採掘所があり、鉱内からトロッコで亜炭を運び出していた。 1875年頃に始まった亜炭採掘は、富岡製糸場などの需要で発展し、金井炭坑・興亜亜炭礦業にいたっては1955年頃まで操業していた。
○高崎炭田
明治初期、片岡郡乗附村(現高崎市乗附町)蛇場見の炭田で寺尾村の田嶋元七によって亜炭の採掘が行われたのが最初といわれ、この高崎の亜炭が官営富岡製糸場・新町屑糸紡績所で燃料として用いられた。
1952年頃は、乗附地区で太平・実冠・田村・興亜・城山の五炭鉱、寺尾地区で金井・青木・昭和・赤岩・長坂の五炭鉱、碓氷郡八幡地区で高崎・田島の二炭鉱が稼働していた。 やがて、技術革新や産業構造の高度化の中で、伝統工業・在来産業の衰退がみられ、高崎亜炭鉱の閉山が相次ぎ、すべての亜炭鉱が終焉。
○観音山
岩野谷丘陵(高さ200m)下には板鼻層が分布し、一千万年~八百万年前ごろ下側は海・上側は陸に堆積した。
千七百万年前(新生代新第三紀中新世紀前期)に、関東山地北側が陥没して盆地ができ、東から太平洋が侵入し、海におおわれた。(現在の埼玉県から群馬県にかけて海となった) こうして、下仁田・富岡・安中・高崎・藤岡・榛名南麓まで海となり、関東山地が削られてできた土砂が大量に流れ込み、海流・波ににより沖合へ運ばれ積み重なって地層をつくった。 その後関東山地側が隆起し、堆積層は北へ移動し、海に最後に堆積したのが板鼻層となった。
※陸で堆積した岩鼻層に含まれるメタセコイア(落葉広葉樹)が亜炭層となったので、高崎山周辺では亜炭が採掘された。
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