グンマの昔:神流川のあわこ
○神流川のあわこ
三波石48個を「三波石四十八石」と銘打ち、いずれの石にも名称・云を付けている。 神流ではカジカが産卵し、カジカの卵を「あわこ」とよび、カジカは焼いて保存してうどん汁のダシに、あわこは煮付けにして食べたそうだ。(下久保ダムが出来てからはカジカが消えたそうだ)
※写真は2石目「日暮石」、終日見ていても飽きないので日暮石。
《グンマを話そう》
○髪洗川(神流川)
平将門が藤原秀郷に追われ上州多野の山中に逃げ込んだ。 将門を見失った秀郷が神流川で休んでいると、一丈もある頭髪が流れてきた。 「これは将門だ」と上流へ兵を進め、将門を討ちとった。 そして「髪洗川」とよばれるようになり、やがて「神流川」と変わった。
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○神流川合戦
1582年6月19日神流川原にて、織田方の滝川一益と北条氏直・北条氏邦が四時間余り激しい戦闘をし、両軍合わせて七千余名の戦死者を出した。 一時は滝川軍が優勢であったが最後はわずかにのこった部下とともに倉賀野城へ厩橋城へと逃げ帰った。
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○高天原(神戦古戦場)
神流川源流に高天原があり、ある昔建御名方命が日本武尊の行手を阻んだため激しい神戦が行われた。 多数の死傷者で流れた血が川を染めたので「千曲川」、頭(カミ)が流されたので「神流川」、武器や胴体が流され荒れたのでたので「荒川」とよばれるようになった。
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