○藤原
奥州前九年の役の後、阿部貞任の子孫一族がこの地に住みつき、周囲と隔絶した生活をおくっていた。 ところがある時、下流の幸知に「藤とわら」が流れ着いたので、「上流に人が住んでいる」と沼田候が兵を送ったとの伝説がある。 (奥州藤原泰衝十六代の子孫が移住したとの説もある)
※藤原の産業は、木材・木炭・ワラビ粉であった。 ワラビ粉は、織物にかかせない糊の原料となった、また経師屋・傘はり提灯屋でも使われた。
☆みなかみ町藤原
○幸知(コウチ)
水上町にあった地名、「耕地」が由来・ひとかたまりの小さい集落「コウ チ」が由来・川の合流を示す「川内・河内・河中など」が訛ったともいわれ る。
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