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高崎伝説(3/3)

Takasaki_09○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木・「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡作部の遠祖、「やたのかがみ」・「あめのむらくものまつるぎ」の製作者。

○元禄時代、堀込幡磨守が神社を乗っ取り神職高井家に伝わる能面一式を神楽塚に埋めた。 そして祟りを恐れた幡磨は行方知らずとなった。 また、夜泣児に霊験ある「ネジリ杉」というのもあった。

○五社稲荷の神使は黒狐、その後移社を繰り返し高崎神社境内。

○羅漢町の獅子面を持って榛名山神に雨を乞うと必ず雨が降る。
 「雨乞のししの十六羅漢町そら 降ってくるテンカラテンカラ」
※獅子面は木仙と云奇人ありその木仙が彫する一奇面也。

○徳川五代将軍綱吉の母桂昌院は本名「おたま」・京都の八百屋の娘だった。 八幡・大聖護国寺の住職克賢が、京都で修行中「おたま」に出会い、その将来を言い当てたとされる。

○下之城は、もとは和田城の出城・和田下之城とよばれていた。 新田屋敷は、もとは家老屋敷だった。

○歯痛に悩まされた大乗庵和尚が、身を持って悩める人々を救おうと入定したのが「方圓塔」。 一説には、塔の赤褐色の斑点は和尚の血潮とも。

○倉賀野河岸・万福寺の淵を舟で通ると、水中から大きな手が出が「柄杓をくれ・柄杓をくれ」と叫んだ。 柄杓をあげないと舟をひっくり返されるので、魔の淵と敬遠された。 ある時、船頭が「底の抜けた柄杓」を投げ入れたら無事に通れたので、それからはみな「底抜け柄杓」を投げ入れるようになった。

○塚の越には狐が出た、化かされた人もいる。 その他、永泉寺の古ムジナ・うらみ葛の葉・須苗子の森・五社稲荷・塚の越の狐・光台寺のキツネ・天王さまのキツネ、などキツネ・タヌキ・ムジナ目撃情報多数。

○恋仲のお駒に会えなくなった吉平が寺尾館・渓流雁川に身を投げた。 それからはカジカが「オコマヨ・オコマヨ」と鳴くようになり、カジカは吉平の化身であるので「オコマガエル」とよぶようになった。

○高崎藩の首斬場だったといわれる牢屋敷が、高崎市内にあるらしい。 
※滝見には幽霊屋敷・柳川のお堀にはアズキゴシゴシ、ともいわれる。

○館はたばこの産地だった。(館煙草)光台寺煙草というのもあり、高崎の煙草産地は根子屋・山名・木部・阿久津・寺尾・石原の六村が有名だった。 

○義経が上豊岡花見の小塚で笛を吹いたのが、「笛吹塚」。 
※太平記では、碓氷を笛吹と記して「ウスイ」とよませた。

○高崎大観音(白衣美女観音)・清水観世音・洞窟観音、三つ揃って「三姉妹観音」。
※もっともっと昔は、観音山麓に寝観音さまがあった。 元島名には福聚堂・千手観音ある。

○和田を高崎と名付けたのは井伊直政、1598年箕輪城から高崎城(旧和田城)に移った。

○源頼朝一行が吾妻三原野の巻狩で眼を患ったとき、治したのが「七仏薬師」。 そのさい三宝にのせられた二個の石に、倉賀野三郎高俊の娘卯月が一晩にして穴をあけたといわれる。

○下小鳥には、峰岸道場・弥三郎武勇伝が数多く残っている。 
※ほねつぎとしても有名だった。

○井野の弁天池には、一疋の白蛇が暴れるので壷に封じ込め池に沈めた、その数八百。 弁財天祠には「竜体ノ松」、近くには伊奈良沼もあった。
「かみつけ野伊奈良の沼の大藺草 よそに見しよは今こそまされ」

○1870年、井野川に熊がでた。 討ち取ったのが善二郎(後に愛称あぐぜん)、死んだ熊は大八木・妙音寺の「熊の墓」。

○大谷川を白蛇の橋を渡り、金毛九尾の狐がやってきて白蛇に化現した。 これを祭ったのが「蛇渡り稲荷」、御神体は白蛇が首に巻き付いた白狐。

○浜川町長学寺の「さき坊主」が、エンマささまの胴中にお金を隠して托鉢に出た。 戻って見るとお金がない、「この役立たず、エンマの間抜けめ!」と言うと酒を飲んで寝てしまった。 翌朝、「さき坊主」は首を抜かれていた、ので「首ぬきエンマ」とよばれている。

○永観律師が本尊をめぐって行道念仏しているうち眠くなって立ち止まってしまったところ、本尊が「永観おそいぞ」と振り向いたので「見返り阿弥陀」。(豊岡・万日堂の来迎阿弥陀像)

○若松・竜光寺の山号は高崎山、開山は1598年白庵秀関。

○高崎公園近く烏川付近にはタヌキが出て釣人の獲物を奪ったりしたので、「狸の石像」を建てた。 
※狸は手に釣り竿・腰にビク・頭に笠。

○大阪落城のきっかけを作ったのは、上州高崎の町人北爪九蔵ともいわれる。 その手柄としてもらった地が「九蔵町」。(道に迷った北爪が大阪城矢倉に迷い込み、窓から酒井家の旗を振ったのを、味方は勝ったと・敵は負けたと思いこんだ)

○修験者玄久院のもとへ毎年天狗が年始の挨拶に来ていた。 ある年、天狗には石の雑煮・自分には餅の雑煮を出して一緒に食べた。 天狗曰く「玄久院は歯がじょうぶだなぁ」、そして翌年からは来なくなった。 
※新保・御影堂には石宮が六十六社あったとされる。

○赤坂山長松寺には「血のでる墓」、井野川(古くは猪ノ川ともいった)にはカッパ。

○佐野村には、笹塚山・念仏塚・稲荷塚・越後塚・おびんずる塚、など古墳が多かった。 
※古墳数県内8423基のうち、高崎は772基とも言われる。

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