グンマの昔:岩櫃城
1349年岩櫃城主五代目吾妻太郎行盛は、碓氷・里見義時父子軍に攻め入られた。 要害の地を利用した堅城は難巧不落、持久戦となりついには水源を絶つ手段にでた。 もはやこれまでと覚悟を決めた行盛は、立石河原で自害した。 このとき、自らの首を対岸めがけて投げつけたとされ、のちに「首宮」とよばれるようになった。
※胴体は鳥頭明神に祀られた。
※善導寺住職が水口を教えたとされる。 その後、善導寺が普請するたびに燃え、未だに本堂が無いのは吾妻太郎の怨念だと言われていた。 寺に不祥事があると鳴いて知らせるといわれる「泣き猿」。
その後1357年、行盛の子千王丸は松井田城主斉藤五郎兵衛の助けで上杉憲顕公援軍を得、岩櫃城を取り戻した。
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