○藤鶴姫
箕輪城落城のおり、先の城主業盛政の室藤姫は佐藤作兵衛信正とともに城を離れた。 武田勢に追われながらも湯殿山(高野谷戸)にて一夜を潜んだが、援兵の声を敵と誤り自害してしまった。 かくして、信正は墓守りとなり、土地の名主土屋蔵介に遺品の「手鏡」を託したとされる。 そしてその場所を、だれいうとなく「人声坂」or「限り坂」と呼ぶようになった。
○箕輪城
1500年頃長野業尚が築城、1566年9月29日武田勢攻撃で落城。 武田信玄は箕輪城攻略に10年要した。
☆箕輪城跡・史跡箕輪城跡
高崎市箕郷町東明屋582-6
○上州箕輪古城
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