児持耶麻大明神
○児持耶麻大明神
天武天皇の御代、伊勢国度会郡から荒人神として現れ、上野国群馬郡白井の保に神となったのが児持耶麻大明神。
伊勢阿野津地頭阿野権守保明が伊勢大神宮の指示で児守の明神に祈願したところ、姫君が生まれ「子持ち御前」となづけた。 姫君九つにして奥方が亡くなり、伊賀国鈴鹿加若大夫和利の姫君を奥方にむかえた。
子持ち御前二十一歳にして夫加若次郎和里(義母の弟)と伊勢参りに行ったところ、伊勢国司在馬中将基成の横恋慕となったが、保明にバッサリ断わられた国司は、阿野権守は都に投獄し・加若次郎和理を下野国八島へ流した。
国司が軍勢を率いて姫君を奪略に来る、と聞いた奥方は、魚師からたくさんの鮃鮎魚(コノシロ)を集めて茅萱に包んで焼き・大幕を引き大勢で念仏を唱えた。 そこに押し寄せてきた国司軍勢に、「姫君が亡くなり葬儀の真っ最中だ」と伝えると、軍勢はあわてて帰っていった。
和理の妻は乳母と二人で東国に住む甥の藤原成次へと向う途中熱田の宿で若君を出産し、道中で出会った侍二人に守られ、加若次郎和理が閉じこめられている下野国八島へと着くと、牢の戸を引き破り助け出すと宇都宮河原崎へと達した。 奥方は群馬郡白井の武部山に住んだので、「児持御前」が住む山「児持山」とよぶことにした。
道中で出会った侍こそ尾張国守護神熱田大明神と信濃国鎮守諏訪大明神、河原崎で待っていたのが宇都宮大明神であった。 そして、乳母の局が羊手本鎮守(文殊)、若君は愛東宮(請観音)、加若次郎和理は和理大明神、加若夫婦は津守大明神、加若父母は鈴鹿大明神、児持御前の継母は阿野明神、藤原成次は山代大明神(尻高)、出産の面倒をみてくれた宿の女房が鳴海の浦鳥居明神、山代の庄は我が妻に逢った地だから吾妻、となった。
☆鮗(鰶)と小鰭
案永年間頃は、コノシロは下魚として・武家が嫌い・焼いた匂いが嫌われ、食べることがなかった。 コノシロの小さいのがコハダ。
☆サンマ・鰶
古くはサンマ、江戸魚河岸に入荷したサンマ、足の踏み場もないぐらいの大量・それを買う人も大量、まるで祭礼のようだった。
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