高崎の地名 (2)
○あら町:和田城時代、金井宿・馬上宿に次いでできたので新町。 あら町と本町と田町で三伝馬といわれた。
○引間町:千葉常将が船尾山焼き討ちのさい寺側の僧兵の抵抗にあい、兵を引いたのが引間(引馬)。
○堰代町:熊野神社を挟んで北側は堰方役人屋敷、南側は城代の組屋敷があったので、堰代町。(1973年)
○煙草横町:舘たばこ・光台寺たばこ、を売っていた。
○嘉多町:1774年、本町から片町が独立し嘉多町と改称した。
○歌川町:藤原定家と藤原家隆が「歌の橋」で出会い、互いに歌を詠み合った。 定家神社・家隆神社があり、家隆が石の舟で烏川をわたったので「石舟」。
○鎌倉町:鎌倉街道が通っていた。
○岩鼻町:1569年~の「武田信玄条書」に「岩鼻之砦」の記がある。丘陵の末端が平野に臨んだ地形・川に突き出た地形を「ハナ」とよんだのが源。 この他、鼻高・板鼻などの地名がある。
○喜多町:通りの北側だけに藩組屋敷があったので片町、1773年喜多町に改称して独立。
○吉井町:奈良時代から「吉井」とよばれる、源はわからない。
○吉井町塩川:大沢川上流に塩分の多い鉱泉が湧き、川へと流れ込んだ。
○吉井町新保:辛科神社の地とされる。宋の王安石が創始した自治制度「十家を保となし、保に長を置く」、および隋書食貨志の「五家為保」ともいわれる。 ※和菓子の五家宝の由来ともいわれる。
○吉井町多比良:「平」の意。 ※高崎神社の前身は熊野神社であり、「オクマン様」とよばれていた。
○久留馬村:古代車持君の領地「久留米評」と、「和名抄・群馬郡群馬郷」の中心だったので、「久留馬村」。
○弓町:藩の弓組屋敷があった。
○京目町:古くは「経免」、それ以上はわからない。
○古着横町:中紺屋町の別称。
○五器町:御器・楽器、蓋付きの椀を売っていた。 ただし、五器には乞食椀の意味もあるので止めた。 ※「合器噛」は厨下の椀の残飯を食う意であり、ゴキブリの語源といわれる。
○江木町:水田灌漑用水路が枝のように延びていたとされる。
○高松町:1872年、高崎と松ヶ崎から高松町が成立したとある。
○砂賀町:医師砂賀道膳が住んでいた。
○三ツ子沢町:榛名山南斜面の沢を、一五沢・二五沢・三五沢・…、とつけたらしい。
○四ツ谷町:この地に祀られていた「四阿屋宮」が源。
○室田町:田畑が散在するので「諸田」とも、榛名の神領地カムロギタが源とも、いわれる。 ※その他、茂呂・師・師田、などの地もある。
○芝塚町:芝は草芝、塚は古墳の意
○十文字貢馬の検査をする御厩が「治尾牧」にあり、馬場が縦横に走っていたので「縦横馬場」、やがて「十文字馬場」となり「十文字」となった。
○上小鳥町・下小鳥町:1581年には、すでに小鳥郷とあった。 これ以上はわからない。
○上小塙町・下小塙町:小さい塙(鼻和・鼻輪・花輪)、すなわち小さくて高い土地を意味するとされる。
○乗附町:アイヌ語で野の果て、藤原家隆の石舟伝説、などあるが本当のところはわからない。
○新喜町:1712年、荒木橋から荒木を新喜と変え新喜町が成立。 荒木氏の尽力で町になったので、チョットもじって「新喜」。
○真町:かつては「新町(しんまち)」であったが、「新町(あらまち)」と区別するため「真町」とした。
○西横手町:利根川が前橋中央で広瀬川筋を流れていた中世には、小さな川が流れその横手にあったので「横手村」。
○請地町:地主が小作人に与えた・あるいは耕作を請け負った「請田」が源。
○前栽町:城主に野菜を納めていた。
○双葉町:「栴壇は双葉より芳しい」からとったとされる。
○台町:1902年、台原から台町成立。
○台町:1902年赤坂村台原から改称。
○大類村:井野川が氾濫して「大流井」が源とされる。
○通町:中山道の意。
○塚沢村:飯塚+貝沢で塚沢。
○鶴見町:鶴が来る池があった。
○堤ヶ岡村:雨が降らないと、堤が岡のようになるの意。
○島野町・元島名町:平安中期の「和名抄」に出てくる郷名の「島名」が源。
○棟高町:村の鎮守「胸形神社」が源。
○白銀町:白銀師(銀細工師)が住んでいたとされる。
○八島町:矢島八郎市長の名を付けようとしたらクレームが付いたので「八島町」。
○飯玉町:「飯玉神社」(産神)が源。
○飯塚町:古墳の形が飯盛りに似ている、との説もある。
○並榎町:榎が並んでいたので並榎、すでに鎌倉時代にはよばれていたらしい。
○米見町:「米見」は、稲担当の郡奉行武士のこと。
○箕輪村:箕が榛名山の裾に広がるような地形だったので、「箕輪」。
○箕郷町:1955年、箕輪町+車里村=箕郷町。
○箕郷町西明屋・東明屋:箕輪城を高崎に移したので空家同然になった。
○綿貫町:天正年間、「四月朔日」を「綿貫」に改称。(上野国郡村史)
○里見村:平安後期にはすでに「里見」であった、それ以前はわからない。
○冷水町(榛名山東南麓):奈良時代、川久保の湧水池に金色の亀が現れたので天皇に献上したところ、「霊亀」とし霊亀元年と改元された。 これから「霊水」→「冷水」→「ひやみず」となったといわれる。
○連雀町:「連尺(索)」、商人の背負い具が源。
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