○猿ヶ京温泉
☆猿ケ京
サルは崖・キョウは狭、の意。
○猿ヶ京温泉
1956年相俣ダム完成、生井(古くは温井)部落が赤谷湖底に沈み、湯島温泉から猿ヶ京温泉に変わった。 当初の湯島温泉は湯島河原とよばれ、交通不便な地で子どもの湯遊び場程度であった。
1869年関所が廃止され、1889年頃に湯を1kmほど木管で 引き生井鉱泉(生井林温泉・笹の湯)が誕生した。 明治末になり小学校建設資金を得ようと村で県道工事を請け負ったが、難工事で赤字となり村所有の温泉湯権が民間へ渡ってしまった。 この結果、見晴館・桑原館・長生館・相生館時代となった。
1958年7月湛水開始にて生井部落水没、桑原館は猿ヶ京ホテルに引き継がれた。
○赤谷湖に眠った生井
○赤谷湖に眠った相俣
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