グンマを話そう:焼きまんじゅう
○味噌付饅頭
天保七年、勢多郡飯土村の類蔵が前橋横山町で「みそつけまんじゅう」の店を始めた。 当時は、城下での商い中心は連雀町と本町であり、六斎市・二八市・四九市など月に十二回ほどの市がたち、「みそつけまんじゅう」は飛ぶように売れた。
そしては、饅頭好きの本陣松井喜兵衛に認められ、鑑札をもらい・松井家紋の使用を許されるようになった。
やがて、開国により前橋生糸は「マエバシシルク」として評判となり、前橋は生糸景気にわいた。 文久三年十二月、前橋城再築がはじまり、労力・費用は町民の寄進によるものであった。 慶応四年松平直克が前橋城に移ってきたが、まもなく明治となってしまった。
明治十一年ごろには、「みそつけまんじゅう」を売る店が方々にできた。 それまでの「みそつけまんじゅう」は六個さしで味より量であった。 そこで類蔵は黒砂糖で甘くし「あまみそまんじゅう」を五個さしで売りだしたところ、爆発的に売れた。 しかし米相場に手を出し失敗すると、町外れの向町へ店を移し「あまみそ」一本で商売をし・荷車で遠く沼田までにも売り歩いた。 二代目与都蔵は「みそまんじゅう」として売り、三代目熊蔵は「焼きまんじゅう」として売り出した。
※「みそつけまんじゅう」は、「みそをつける」と嫌がられたので「みそまんじゅう」となったといわれる。
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