綿貫観音山古墳 メモ
高崎市の東方6km、井野川西岸の平野に北面して築造された前方後円墳である。 墳丘は2段に築成され、全長約100メートル、前方部の幅と後円部の径、前方部の高さと後円部の高さはほぼ等しい数値を示し、二重の周濠をめぐらし整った形態をしている。墳丘上の各所には埴輪を配置しているが、葺石[ふきいし]は全く認められない。
主体部は後円部中段に横穴式石室が西南に向かって開口するように設けられており、石室内はほぼ埋葬当時の状態を保っていた。 出土遺物はきわめて豊富で、鏡・装身具・武器・武具・馬具・銅製水瓶・土師器・須恵器等がある。 中でも銅製水瓶、金銅製花弁付鈴等、従来類をみないものを含んでいる点が注意され、その年代は7七世紀代に下るものと思われる。
※古墳の周濠は水田用貯水池を兼ねていたともいわれる。
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