浅草・花屋敷
○花屋敷
嘉永五年千駄木植木屋森田六三郎が植物園開園、鳥獣少々。 この地は元禄の昔、桜の名所であった。 また観音裏・奥山と呼ばれ見世物で賑わい、その後浅草六区に引き継がれた。
※明治五年頃、花屋敷にブランコがあったといわれる。
※明治二十年頃には、ミニ富士山や凌雲閣(十二階)が造られた。
☆花屋敷(六三郎花屋敷)
植木屋六三郎が発起、嘉永五年五月頃完成・六月一般公開・その後正式に開園。
明治二十七年、三代目六三郎は花屋敷を手放し、その後経営者は転々と変わった。 このころは、植物園の他に動物園(トラ・シカ・ツルなど鳥類)もあった。 明治三十六年ごろには、剥製・骨格標本も展示され、活動写真・蓄音機など博物館様相も呈してきた。
関東大震災で、動物を仙台市に売却し閉鎖。 1940年頃須田町食堂(聚楽)が買収し「食堂遊園地浅草楽天地」、1941年松竹により「劇場楽天地」、休業後1947年「浅草花やしき」として再開。
☆松竹
明治三十五年一月三日大阪朝日新聞記事に「松竹(まつたけ)の新年」、白井末次郎と大谷竹次郎兄弟による。 その後「松竹合資会社」設立。 大正九年頃から「松竹(しょうちく)」となった。
○ウォーターシュート
第五回内国勧業博覧会(大阪・明治三六年)にて「飛艇戯」。
※ジェットコースターは「自動鉄道」、メリーゴーランドは「快回機」。
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