森永製菓100年史
○西洋菓子
1899年8月15日、森永太一郎が赤坂溜池に「森永西洋菓子製造所」開始、注文製造に徹したが売れず。 実物見本箱車で売り歩き「耶祖の菓子屋」として有名になったがまだ売れず。 同郷の「中の橋・青柳」に置いてもらったのがきっかけで、亀屋・風月堂・木村屋本店・明治屋本店などに販路、外国公使にも評判となった。
四方がガラス張りの箱車に菓子を並べて街をまわったところ、銀座の菓子屋で売れるようになった。 車の屋根には「キリストイエス罪人を救はんために世に臨り給へり」。
○マシマローバナナ
マシマローがアメリカで「エンゼルフード」と呼ばれることから「エンゼルマーク(天童印)」を思いついたといわれる。(1905年登録商標)
※マシマローをバナナ型にしたものらしい。
○森永キャラメル
エンゼルマーク・明治三十八年 森永太一郎が渡米中に貧困生活の中で神の声を聞いたが「エンゼルマーク」につがったとも。
※明治四十四年帝国劇場開場をきっかけに箱入りキャラメルが爆発的に売れたらしい。 場内は、禁酒・禁煙・静粛だったので、音をたてての飲食ができなかった。
※アメリカでマシュマロをエンゼルフードとよぶのを見て、エンゼルマークを作ったといわれるが、キューピットではないかとの説もある。
エンゼルマークは、空からお菓子を持って降りてくる絵といわれる。 エンゼルの手には、森永太一郎のイニシャルMとT。
※森永太一郎はクリスチャンだった(渡米二回)
森永製菓あひる課
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