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飴売り・明治時代
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岩槻郷土資料館 (さいたま市岩槻区本町2-2-34 、048‐757‐0271)☆旧岩槻警察所 1930年建設。
○さかなのはんじもの上 たこ・したひらめ・たい・ すばしり・かます・くらげ・ にしん・はぜ・かれい・ たら・かつお・いしなぎ・ めばる・なまず・くじら・ほうぼう・ すずき・いわし・ このしろ・かさご・あいなめ・いわし
○西洋菓子 1899年8月15日、森永太一郎が赤坂溜池に「森永西洋菓子製造所」開始、注文製造に徹したが売れず。 実物見本箱車で売り歩き「耶祖の菓子屋」として有名になったがまだ売れず。 同郷の「中の橋・青柳」に置いてもらったのがきっかけで、亀屋・風月堂・木村屋本店・明治屋本店などに販路、外国公使にも評判となった。 四方がガラス張りの箱車に菓子を並べて街をまわったところ、銀座の菓子屋で売れるようになった。 車の屋根には「キリストイエス罪人を救はんために世に臨り給へり」。
堅王鐵道株式会社計画路線図※詳細不明
○唐人飴売り 唐のナア唐人の寝言には、アンナコンナンおんなか、たいしかはえらくりうたひ、こまつはかんけのナア、スラスキヘン、スヘランショ、妙のうちよに、みせはづじよう、チャウシヤヨカバニ、チンカラモ、チンカラモウンチンカラモウン、かわようそこぢやいナアバアバアバアバア。 ※文政十二年三月、中村座にて中村歌右衛門の梅玉が「其九絵彩四季桜」で酒屋丁稚に扮して飴売りの所作をしたことから大評判となった。
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