さぎ山記念館
昔の野田のサギ山
☆鷺
江戸時代は鷺を食べたらしい。 青鷺の肉が、白鷺の肉より旨かったらしい。
☆野田のサギ山
享保年間上野田宝永地区に鷺が巣を作るようになり、この地は鷺薮とよばれていた。 やがて竹木が枯れ1800年半ばには、南の上野田村にサギが巣を作るようになった。 1938年天然記念物「野田村鷺繁殖地」となるも、周辺環境変化により1970年頃に三室に移り、やがてサギの繁殖地は消えた。
○野田のサギ山
享保年間新染谷村名主宅にサギ山(鷺薮)、安永五年徳川家治日光社参で上覧(徳川家囲鷺)、その後糞などで木が枯れ鷺薮は寺山村・上野田村に移動(文化四年)、天保十四年徳川家慶日光社参で上覧。
明治時代になり鷹場制度廃止、1939年天然記念物「野田村鷺蕃殖地」、戦時中爆撃目標となるのを危惧し鷺を退治した結果寺山村から鷺が消え・上野田村には後に鷺が戻った。
1952年特別天然記念物「野田のサギ山及びその繁殖地」、1975年鷺消滅、1984年指定解除。
※江戸時代にはクロトキが棲んでたらしい(鷺山絵図)
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