行田市郷土博物館
☆忍城・梁田戦争
慶応四年三月九日早朝、上渋垂方面から急進した西軍(薩摩藩四番隊、大垣藩、長州藩)約200余名は、辰の上刻、いっせいに銃砲攻撃を開始した。 薩摩藩、大垣藩は例幣使街道を梁田宿へ、長州藩は南側から迂回し、本郷と中屋敷の中間から梁田宿中央裏手へ、薩摩藩一小隊は本道上から小生川へ渡良瀬川沿いに進撃した。
いわば、梁田宿を三方から包囲する作戦であり、深い朝霧に隠れての奇襲攻撃であった。
一方、総督・古屋佐久左衛門が率いる東軍(幕府軍)約900余名は3月8日午後、羽生陣屋を出発し梁田へ宿営した。 翌9日の早朝に出発する予定で、まさに朝食の準備中であった。
完全に不意を衝かれた東軍も勇猛果敢に防戦し、梁田宿一帯はしだいに市街戦の様相となり、やがて凄惨な白兵戦となった。 次第に宿場の中に追い込まれた東軍は、次々と戦死者を出し、午前10時頃その戦いは終わった。
東日本最初の戦いという梁田戦争(梁田の役)が、足利地方における明治維新の幕開けとなった。 同年四月に、江戸城は開城し、9月に年号は明治元年となった。
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