芦別 メモ
○旧三井芦別鉄道炭山川橋梁
昭和前/1945頃、鋼製6連桁橋及びコンクリート造2連アーチ橋、橋長94m・橋台及び橋脚付
北海道芦別市中の丘町~西芦別町
市中心部の南方を流れる石狩川水系炭山川に架かる旧鉱山鉄道の橋梁。 単線仕様・全長94mで、鋼製6連プレートガーター桁橋とコンクリート造二連アーチ橋からなり、線形を緩やかな曲線とする。 深い渓谷に最高約30mの橋脚が連続して立つ特徴的な外観。
○旧三井芦別鉄道炭山川橋梁
1945年、鋼製6連桁橋及びコンクリート造2連アーチ橋、橋長94m・幅員3.8m・高さ32m
北海道芦別市中の丘町・西芦別町
1943年、政府の石炭増産要請に応じた三井鉱山が、芦別鉱区拡大に伴う石炭運搬専用線の延長のため、資材不足の中、2年間に橋梁2基を建設。 本橋梁は残存する唯一のもの。
○旧頼城小学校)校舎
昭和中/1954/1956・1957増築・2003改修
煉瓦造一部鉄筋コンクリート造2階建、鉄板葺、建築面積2232㎡
芦別市緑泉町5-14他
煉瓦造二階建の学校建築である。 西向きに玄関を開く職員室棟から東へ片廊下の北教室棟が延び、職員室棟の南にも片廊下の南教室棟が丁字形に接続する。 屋根は寄棟造鉄板葺で、内・外壁とも煉瓦のイギリス積とする。100mを超える長大な北教室棟は壮観である。
○旧頼城小学校校舎
1954年、煉瓦造一部鉄筋コンクリート・延床面積4,134㎡
1953年に全焼した木造校舎を煉瓦造で再建。 煉瓦はすべてイギリス積みで、使用総数は約70万個。一線校舎の全長が直線で107mと、煉瓦造では最長を誇る。 国庫補助に頼らず、三井鉱山芦別鉱業所が従業員子弟のためにと建設費全額を負担した。 1958年に41学級、児童総数2214名と産炭地でも有数のマンモス校となったが、2002年に閉校。
○旧頼城小学校体育館
昭和中/1954/1940改修、木造平屋建・鉄板葺・建築面積757㎡
職員室棟の北に渡り廊下で接続する木造平屋建の東西棟。 屋根は切妻造の鉄板葺である。 外壁は腰を鎧下見板張、上部をモルタル塗とし、上下二段に窓を開く。 内部は東端にステージと器具庫、西端に物入を設ける。 2ヒンジ・トラスの木造小屋組に構造美を見せる。
○旧頼城小学校体育館
1954年、木造モルタル平屋建・756㎡
1953年に全焼した校舎と共に翌年再建。 屋根は切妻造鉄板葺。 外壁は腰を鎧下見板張、上部をモルタル塗りとし、上下二段に窓を開く。 天井の2ヒンジ・トラスの木造小屋組の構造が美しい。
下芦別
上赤平
本茂尻
三井芦別鉄道
歌志内
D1:豊羽鉱山、D2:光竜鉱山、D3:手稲鉱山、D4:千歳鉱、D5:八雲鉱山、D6:寿都鉱山、D7:鴻ノ舞鉱山、D8:北隆鉱山、D9:勢多鉱山、D10:北見鉱山、D11:本庫鉱山、D12:イトムカ鉱山、D13:峨朗鉱山
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