岩槻区平林寺・東北自動車道西側脇
※岩槻ICより下り約3km・西側の丘の上に見える煙突。
※地名が平林寺とあるのは、かつてこの地に平林寺があった。
○岩槻平林寺(さいたま市岩槻区平林寺532)
永和元年太田備中守が岩槻金重村に平林寺を開く・開山は石室善玖、天正十八年五月豊臣秀吉の岩付攻略で焼失、後に野火止に移転。
岩槻平林寺が大河内松平家の葬列の地となり・川越藩主となった信綱が藩内移転を計画するも実現せず、次代が遺命を継ぎ野火止に移転を実行した。(全てが移されたのではなく・一部は岩槻に残ったらしい)
※見性院埋葬の地は清泰寺
平林寺西遺跡
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