朝霞大仏
○朝霞大仏(朝霞市膝折・現朝霞駐屯地内)
1933年、遊園地・庭園・大仏・梵鐘などを含む根津公園(根津は計画者の東武鉄道社長名)建設計画あり。 1935年梵鐘完成(高さ約3.9m・重さ約6750kg)、1935年大仏原型完成(高さ約14m)するも、1937年計画中断・金属供出により熔解された。 そして、公園敷地には陸軍予科士官学校がつくられ、戦後アメリカ軍の根津パークとなった。
1933年、根津嘉一郎が膝折の地五万坪を購入し・根津公園建設を計画。 1935年公園内の鋳造工場で大梵鐘(重さ6750kg・高さ3.9m)を鋳造、1936年大仏の原型作製(原型完成は1937年)、公園記念碑建立。 1941年大仏建立中止、金属供出となった。
※大仏の仏身12.8m+蓮台2.9mは、鎌倉の大仏をしのぐ大きさだった。
※大燈籠の一つが多磨霊園に残っている。
☆朝霞大仏
1933年10月根津嘉一郎が朝霞ゴルフ場西高台に五万坪の土地購入・遊園地を計画、東武鉄道が朝倉駅を設置。 1934年6月には大仏・鐘楼・庭園からなる根津公園構想発表。
1935年1月大梵鐘完成、1936年2月大仏原型模型完成、1936年11月記念碑建立除幕、1937年2月大仏原型完成、1937年7月日中戦争、1941年12月太平洋戦争、その後梵鐘供出・大仏本工事中止。
※梵鐘は大きすぎて、つり下げることができなかった。(鐘楼を造れなかった)
※大仏はコンクリート製・露座の予定だった。(蓮弁は鋳造銅)
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