膝折宿脇本陣
○朝霞ゴルフ場(1932年)
☆東京ゴルフ倶楽部朝霞ゴルフ場
この地は、明治二十二年町村制施行により「膝折村」となる。 昭和五年頃より東京ゴルフクラブ移転の話があるも、「膝折ゴルフ場」ではマズイというので、ゴルフ倶楽部総裁の朝香宮殿下の名前「朝香」をいだだくこととした。 が、殿下の名前を使うとは不謹慎といわれ、昭和七年「朝霞町」が誕生した。
☆川越街道
徳川家康が鷹狩りを楽しむようになり、徳川家光時代には志木方面に出向くようになったので川越街道をつくったといわれるる
☆末無川
膝折付近で川の水が無くなったりで末無川(武蔵野台地が川の水を吸い込んだ)
☆膝折
常陸国小栗城落城し城主小栗孫五郎平満重が三河国に逃げ、その子小次郎助重も逃げるも夜のとばりもおり・真っ暗の中、一軒家に一夜の宿を求めた。 しかしその家は強盗のすみ家、殺して金を奪おうとするも・助重は気づき逃げ出し、そばの林に繋がれた荒馬鬼鹿毛に乗り・全速力で走り続けた。 しかし長時間の疾走で馬は膝を折ってしまった。 その地が膝折、馬を埋めた地が鬼鹿毛。
※膝折の由来は、骨が折れるではなくて、膝が上がらなくなる・歩けなくなる、の意。
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