旧煉瓦製造施設
○日本煉瓦製造株式会社
明治十三年東京小菅集治監で登窯による赤煉瓦製造(手抜式製造法)、明治十八年会社創立計画(欧州風建築ブームで赤煉瓦不足)、深谷瓦産地の良質粘土から上敷免を選定、明治二十年十月二十五日日本煉瓦製造会社成立(日本橋浜町に本社)、明治二十三年六月事業開始、日清戦争後の建築ブーム(鉄道を含む)で大発展した。
大正十二の関東大震災で、「煉瓦造りは地震に弱い(浅草凌雲閣の崩壊)」といわれセメント優勢で煉瓦が廃れた。 1947年6月上敷免工場再開、1957年全面操業。
※当初は工場脇の小山川から利根川・江戸川・隅田川への舟運。 明治二十八年工場への専用人車鉄道開通、後に汽車輸送。
※明治三十九年工場敷地内に保育園開設、1945年「恒徳保育園」として再開。
☆日本煉瓦メモ
☆日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所
明治/1888頃
都市整備のために大量に必要とされた煉瓦製造を目的として、明治20年に渋沢栄一らによって設立された日本煉瓦製造会社の施設。工場の敷地内には煉瓦焼成のための大規模な煉瓦構造物であるホフマン輪窯、旧事務所、旧変電室が残る。又敷地に隣接して、工場と深谷駅を結んでいた専用鉄道(日本で最初の専用鉄道)の軌道敷に備前渠鉄橋と煉瓦構造物が残っている。この工場で作られた煉瓦は東京駅を初めとする東京の主要な建築に用いられたことがわかっており、我国近代化の礎をなした施設として貴重である。
☆日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧変電室
明治/1868-1911 煉瓦造平屋建、建築面積22.3平方メートル
☆日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 備前渠鉄橋
明治/1895 鉄製単桁橋、煉瓦造単アーチ橋附属
☆日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設
ホフマン輪窯六号窯 明治/1889 ホフマン輪窯六号窯一基 棟:瓦造、建築面積1,044.2m2、煙突付、木造覆屋附属
☆プレートガーダー橋・福川橋梁
深谷市原郷619-2
日本煉瓦工場が製造した煉瓦を輸送するため明治28年(1895)に福川に架けられました。ポーナル型プレートガーダー橋としては 現存する日本最古のものです。
☆日本煉瓦株式会社・ホフマン輪窯6号窯
☆ホフマン式輪窒・旧下野煉化製造会社煉瓦窒(野木町)
明治二十三年完成、1974年製造煉瓦中止、2001年シモレン倒産。
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